映画『ライフ・ウィズ・ミュージック』の「自閉症役を、そうではない人が演じた」論争について思うこと

映画コラム
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2022年2月25日より『ライフ・ウィズ・ミュージック』が劇場公開されている。

本作は歌手のSia(シーア)の長編映画初監督作。しかも脚本・原案を手がけた上に、劇中の楽曲12曲をも書き下ろした、渾身の音楽ドラマ映画だ。だが、後述する理由で議論を呼んだ、というよりも大いにバッシングを浴びてしまった、不遇の作品でもあったのだ。

筆者個人は、本作にまつわるその論争を知ってこそ、観る意義がある作品と断言する。今後のエンターテインメントだけでなく、誰にとっても他人事ではない社会問題への提起が、作品の内外にあったからだ。その理由を解説していこう。

1:批判を浴びた理由と、名作映画の例

本作『ライフ・ウィズ・ミュージック』で何よりも問題視されたのは、劇中の自閉症の少女のミュージック役に、自閉症の症状を持たない俳優のマディ・ジーグラが起用されたこと。これが、非障害者を優先する差別​​を意味する「エイブルイズム」だとして批判を浴びたのだ。

シーアは当初、そのエイブルイズムであるという批判を否定した。しかし、今までの自身のミュージックビデオに出演してきたマディ・ジーグラーを起用したことについては、その後に「えこひいきのようなものだった」と答えている。また、初めは自閉症を持つ若い女性のキャスティングも考えていたものの、その方は撮影現場に馴染めずストレスを抱え、うまくいかなかったという経緯もシーアは語っていた。

まず、「自閉症ではない俳優が自閉症役を演じること」についてだが、これまでの名作とされる映画での、いくつかの例がある。例えば『レインマン』(88)ではダスティン・ホフマンがサヴァン症候群の中年男性を演じてアカデミー主演男優賞を受賞した。『500ページの夢の束』(17)でもダコタ・ファニングがステレオタイプではない自閉症のキャラクターを演じ賞賛を浴びていた。

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自閉症ではなく知的障害ではあるが、『ギルバート・グレイプ』(93)のレオナルド・ディカプリオ、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)のトム・ハンクス、『アイ・アム・サム』(01)のショーン・ペンなどが記憶に強く残っている方もいるだろう。

一方で、『スペシャルズ! 政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話』(19)のように、本物の自閉症の若者や介護者、その家族が多くキャスティングされたフランス映画もある。こちらでは、監督の2人はパリのすべての団体を調査し、その中で自閉症を抱えた人たちのアートグループを見つけ、そこで役を依頼するというキャスティングの手順を踏んでおり、撮影時にスタッフたちは俳優たちが自閉症を持つがゆえのトラブルにも柔軟に対応していたのだそうだ。

「これまで多数の名作とされる映画でも、自閉症や障害を持つ役を、そうではない名優が演じてきていたのに、バッシングを受けたことはほとんどない。『ライフ・ウィズ・ミュージック』だけが、これほどまでの批判を浴びるのはおかしいではないか」というのも正当な意見だ。

だが、映画に限らず、障害を持つ方が適した仕事に就けないというのは社会的な問題である。そして、「障害を持たない人のほうがトラブルが少ないから」という理由で非障害者ばかりが優先されることも、確かにエイブルイズムにつながりかねない。また、障害を持つ方が働きやすい環境の整備こそが必要なのではないか、とも思える。『スペシャルズ! 』のように、実際に自閉症を持つ方が演じてこそのリアリティや意義を感じる作品も世に出てきているので、今はその方向性を目指していくべきなのかもしれない。

こうして、一概に黒か白か断言できない、また障害や自閉症者に対する考え方も人によって大きく異なるからこそ、『ライフ・ウィズ・ミュージック』の問題は論争を呼んでいたのだろう。

–{荒削りな魅力もあるが、看過できない問題も}–

2:荒削りな魅力もあるが、看過できない問題も

『ライフ・ウィズ・ミュージック』の本編で描かれているのは、アルコール依存症の女性が、疎遠だった自閉症の妹と、心優しい隣人との暮らしを始め、少しずつ変わろうとしていく、というドラマだ。

物語からは、自閉症に限らない「生きづらさを抱えた人たち」に寄り添う優しさを感じたし、自閉症についても真摯に向き合う姿勢では作られていたと思う。貧困に伴う厳しい状況や社会問題が容赦なく描かれ、また妄想の中に入りこむような音楽パートがあることから、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00)を思い出す方も多いだろう。

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だが、作品そのものは手放しで賞賛はできない。作りとして明らかに荒削りなところがあり、賛否両論を呼ぶのも頷ける内容でもあった。特に、シーアが手がけた脚本は、さすがにブラッシュアップの余地があっただろう。

物語の序盤は登場人物の背景や特徴がスムーズにわかるようになっていて期待させるのだが、中盤からは様々な要素が並行して描かれすぎて、物語の推進力が弱くなってしまっている。さらなる大きな問題はクライマックスからラストにかけての流れで、これは自閉症を扱う作品としてだけでなく、これまで描いてきたドラマに対する結論としても「安易」と思ってしまうものでもあった。

肝心のマディ・ジーグラーが演じる自閉症者の少女の描写に、少し「しつこさ」や「過剰さ」も感じてしまうのも事実。劇中で挟まれる、自閉症者の脳内世界をイメージしているとも取れる、ポップな音楽パートは楽しいのだが、その奇妙にも思える印象も含め間違いなく賛否を呼ぶポイントだ。目を白目に近くなるまで見上げるといった表情も、少々やりすぎに感じてしまったというのも正直なところだ。

自閉症についても真摯に向き合う姿勢があるとはいえ、それを扱った物語の結論そのものが安易であったり、過剰に思える描写をしたことは、「初監督作品だからこその荒削り」ではすませてはいけない問題ではあるだろう。

だが、この役のために頭を剃り上げて音楽パートでの見事な歌声とキレキレのダンスも披露したケイト・ハドソンの熱演、メロディアスな楽曲の数々など、スクリーンで見届ける価値のある、唯一無二と言ってもいい魅力があるのは事実。第78回ゴールデングローブ賞で、コメディ/ミュージカル部門の最優秀作品賞、最優秀主演女優賞(ケイト・ハドソン)にノミネートされたことも、存分に納得できる。

一方で、その年の最低映画を決定する2021年のゴールデン・ラズベリー賞ことラジー賞では、ケイト・ハドソンが最低主演女優賞、マディ・ジーグラーが最低助演女優賞、そしてシーアが最低監督賞をそれぞれ受賞してしまう不名誉な結果も残している。個人的には、ケイト・ハドソンの演技は掛け値なしに素晴らしかったし、マディ・ジーグラーの演技には過剰さを感じてしまったものの悪いというわけでもなく、初監督作としても画作りは十分なすぎるほどのクオリティを保っていたと思うのだが……(むしろ、問題となるのは前述した通り脚本のほうだと思う)。

個人的にはラジー賞は一種のジョークとして好きであるし、ある意味でとても権威もあるため受賞は一周まわって意義のあることだとも思うのだが、今回の3部門の受賞はさすがにかわいそうで、センスに欠けた選定だと思ってしまった。少なくとも、口を極めて罵るだけではもったない、志の高さも、チャレンジ精神もある内容だと心から思えたのだから。

結論としては、『ライフ・ウィズ・ミュージック』は、作品の出来自体は手放しには褒められないが、一方でひたすらに酷評されるだけではもったいない魅力も持っており、自閉症者役についての問題も考えるという意義でも観る価値がある内容だった。前述した通り、結末などには看過できない要素があるが、それも含めて観る人が「(自閉症を扱う上で)良くないこと」を再認識することも、意義深いことであると思う。

–{合わせて観てほしい、自閉症を扱った隠れた名作映画}–

3:合わせて観てほしい、自閉症を扱った隠れた名作映画

最後に、近年では自閉症を描いた、意義深い映画が数多く公開されていたので紹介しておこう。

『テンプル・グランディン 自閉症とともに』(10)は実在の動物学者の伝記映画だ。自閉症の「こだわり」を表現した演出が見事で、初めは軽んじられた人物がやがて自己実現を果たしていく過程がサクセスストーリーとして抜群に面白く仕上がっている。現在はU-NEXTで独占見放題配信がされている。

『旅立つ息子へ』(20)は、チャップリンを愛する自閉症の息子が、施設への入所の日にパニックになり、父と逃避行をするロードムービー。父が息子を愛するあまり共依存になっている状態と、彼らがお互いに旅を経て成長していく過程が描かれていた。現在は各種配信サービスでレンタルでの鑑賞ができる。

『梅切らぬバカ』(21)では自閉症の息子がいることから巻き起こる出来事を、綺麗事にもせず、過度にウェットにも大げさにもせず、77分という時間の中でユーモラスかつ誠実に描く作品だった。自閉症に限らない「偏見」の寓話としても見応えがある。現在は一部のミニシアターで上映が行われている。

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また、今では自閉症についての理解が進み、自閉症スペクトラムという広い範囲の言葉を用いて、映画の中で登場させることもある。『パワーレンジャー』(17)では軽度の自閉症を持つ少年が、自身の問題に悩むも、ヒーローへと成長する姿も描かれていたりした。重い障害にまつわる問題を描いた作品ももちろん必要だが、こうした「当たり前に活躍する」作品もまた世に多く出てほしいと願う。

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このように、作り手の自閉症の向き合い方、また観客が作品から受ける印象も多種多様だ。『ライフ・ウィズ・ミュージック』と合わせて観て、自閉症や、それにまつわる様々な問題について(簡単にわかったような気にはなってはいけないが)考えてみてはいかがだろうか。

(文:ヒナタカ)

–{『ライフ・ウィズ・ミュージック』作品情報}–

『ライフ・ウィズ・ミュージック』作品情報

【あらすじ】
孤独を抱えて生きてきたズーは、アルコール依存症のリハビリテーション・プログラムを受けていた。そこに、祖母が突然亡くなったという電話が入る。アパートへ向かったズーは、長らく疎遠になっていた自閉症の妹・ミュージックと再会する。ミュージックの頭の中はいつも音楽が鳴り響き、色とりどりの世界が広がっていた。近しい親戚もいないズーにしてみれば一時的にも共に暮らすほかないが、周囲の変化に敏感なミュージックに途方に暮れてしまう。ミュージックがパニックを起こしたとき、アパートの隣人・エボが現われる。彼はズーにミュージックの感じ方や祖母との暮らしの様子を伝え、折々で手を貸すのだった。次第に3 人で過ごす穏やかな日々に居心地の良さを覚え始めたズーは、自分の弱さと向き合い、少しずつ変わろうとしていくが……。 

【予告編】

【基本情報】
出演:ケイト・ハドソン/マディ・ジーグラー/レスリー・オドム・Jr.

監督:シーア

上映時間:107分

映倫:G

製作国:アメリカ