「今でも繰り返し見ている『2000年以前に公開された映画』のオススメ」というお題をいただいた。
熟考の結果、’90年公開、監督リュック・ベッソン、主演アンヌ・パリローの名作『ニキータ』に決めた。
あえて暴論を述べるが、怒らないで聞いてほしい。世界でもっとも映画が面白かった時代は、’90年代である。異論は認めない。理由は簡単。’74年生まれの筆者にとって、10代後半から20代前半のもっとも多感な時期を過ごしたのが、’90年代だったためだ。
タランティーノがいて、レオス・カラックスがいて、ウォン・カーウァイがいて、石井隆がいて、阪本順治がいて、岩井俊二がいて、北野武がいた。大学をサボって映画館ばかり行っていた筆者は、卒業しても就職せずに小劇場演劇の道に進み、2000年代になる頃に挫折した。絵に描いたような若気の至りで、人生を誤った。
完全に彼らのせいだ。その中でも、リュック・ベッソンは特に悪い。
【関連記事】ニキータ系ど根性濡れ場スパイ映画『レッド・スパロー』を観よ!
【関連記事】不朽の名作:全力でオススメしたい「2000年以前公開の映画」たち
【関連記事】日本映画激動の1997年を締めくくり、濱口竜介に大きな影響を与えた黒沢清監督『CURE』
ニキータの登場
『ニキータ』のオープニング。ニキータ(アンヌ・パリロー)を含む4人の悪ガキが、ずんずん歩いている。その中の半裸の男は、なにやら人間を引きずって歩いている。生きているのか死んでいるのかもわからない。
まったく意味はわからないが、これはすごい映画なんじゃないだろうか……!
これはきっと、この4人を主役にした「青春クライム・アクション」なんだ!そして、この引きずられている男(女?)が、実はリーダーだったりするんではないか!?
違った。ニキータ以外の3人はすぐに死んだ。
ニキータと仲間たちは、クスリ欲しさに強盗を行うが、駆けつけた警官隊にあっさり射殺される。ニキータを除いて。その際に警官を射殺したニキータは、裁判の末、処刑される。
ところが、処刑はフェイクであり、目を覚ましたニキータの前に政府の秘密警察官を名乗る男・ボブ(チェッキー・カリョ)が現れた。ニキータは、政府のために働く暗殺者として生きるか、さもなくば本当に死ぬかの、究極の選択を迫られる。
脱走に失敗したニキータは、渋々訓練を受けることになる。しかし、さすが主人公であるニキータは、いきなりポテンシャルが高い。すさんだ生活により、否応なしに格闘能力を鍛えられたと思われる。
徒手格闘の訓練において。中川家・剛似の教官との組手。「遠慮はいらない。私の顔面を狙え」
あっさりビンタを当てるニキータ。思わぬ当て勘(打撃を当てる際の空間把握能力)にビビる教官。その様子を窓から覗いてニヤリとするボブ。
日を改め、2度目の組手。
ニキータの当て勘を警戒した教官は、打撃勝負を避けていきなり組討ちに持ち込む。その判断は正しい。僕がセコンドでも、そう指示する。そして教官、豪快な一本背負い。これも、まあいいだろう。そのまま袈裟固めに入る。これはいけない。
どうやらこの教官は「ルールある格闘技のスパーリング」だと思っているようだが、そんな理屈は「育ちの悪い」ニキータには通用しない。案の定、耳を嚙まれた。ほら言わんこっちゃない。
そもそも「嚙みつき」が認められる戦いにおいては、多くの寝技は無力化する。ひるんで寝技を解いたところに、ニキータのサッカーボール・キックで勝負あり。
『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』に乗せて、だるそうに勝利の舞いを踊るニキータ。
その様子を窓から覗いて大喜びするボブ。ボブ、めっちゃニキータ好きやん!
ボブの歪んだ愛情
そう。ボブはめっちゃニキータが好きなのである。
初仕事を終えたニキータに、卒業を言い渡すボブ。「さびしくなるな」と呟くボブに、キスをするニキータ。その際、ボブはまるで中学生のようにドギマギするのだ。その様があまりにも可愛く、おっさん(筆者)がおっさん(ボブ)に母性本能を発動させるという事態になってしまった。
ただボブの愛し方は、少々「いびつ」だ。先述の、卒業試験となった初仕事もなかなかひどい。
あの「勝利の舞い」から3年がたち、エレガントな大人の女性に成長したニキータ。
彼女の23歳の誕生日を祝うため、外での食事に誘うボブ。収監以来、初めての外出である。ドレスアップをして、ボブにエスコートされて訪れた高級そうなレストランに、喜びを隠せないニキータ。プレゼントを渡され喜ぶ様はあまりにいじらしく、3年の間に何があったか知らないが、ニキータも恐らくボブのことが好きである。
有頂天でプレゼントの箱を開けるニキータ。中に入っていたのは、「銃」だった。困惑するニキータに、ボブは冷徹に初仕事を言い渡す。
「後ろに座っているのは、ある重要人物と用心棒だ。2発で殺せ」
卒業後、ニキータは一般人として暮らし始め、マルコ(ジャン=ユーグ・アングラード)という恋人ができた。同棲なんかもしちゃったりしてなんだかんだで幸せに生きているのだが、突然容赦なく指令が入る。だいたいイチャコラしてる時に入る。多分、ボブは狙っている。
特にひどいのが、ふたりにベニス旅行をプレゼントし、ホテルでイチャコラしだしたタイミングを見計らっての指令である。さすがのマルコも、電話が入るたびに突然真顔になってどこぞに消えるニキータを怪しみだす。
後日、ボブに嫌みを言うニキータ。
「いい休暇だったわ。サディズムの趣味があるのね」
答えるボブ。
「私なりの愛し方だ」
–{ボブはリュック・ベッソンである}–
ボブはリュック・ベッソンである
おそらく、リュック・ベッソン監督が自己を投影したキャラが、このボブである。ニキータ役のアンヌ・パリローは、当時のリュック・ベッソンの妻だ。自分の嫁をどんどん過酷な状況に追い込んでいくのだが、それはベッソン流の愛情表現なのである。
ウソの逃げ道を教え、それでも脱出できるかを試したり、高所から飛び降りさせてダストシュートにハメたり、どしゃ降りの中を裸足で逃げさせたり、(まるで新婚旅行のような)休暇旅行をプレゼントしたかと思えば、それも結局仕事だったり。
肉体的にも精神的にも追い詰められた嫁がいくら文句を言っても「これが私なりの愛し方だ」と言われてしまったら、何も言い返せない。
案の定、撮影後すぐにふたりは離婚している。ベッソン監督がこの離婚で目が覚めれば良かったのだが、その後何度も再婚・離婚を繰り返しているところを見ると、やはりその辺は変わらないみたいだ。
例え「いびつ」な形をしていても、ベッソンの嫁への愛情は十二分に伝わる。嫁のアンヌ・パリローが、それはそれは魅力的に映っているからだ。心から愛していなければ、ひとりの女優をあそこまで魅力的に撮れないと思う。
先述の勝利の舞いのけだるさ。「微笑んで」と言われるが人生で一度も愛想笑いなどしたことがないため、笑い方がわからずひたすら顔を歪める様。“レディーのたしなみ”担当教官(ジャンヌ・モロー)の教育で、不良少女がどんどん”いい女”になっていく過程。扉1枚向こうの恋人の愛の言葉を聞きながら、ライフルで標的を狙う、その涙。
ただただかわいそうなマルコ
現実の「リュック・ベッソン&アンヌ・パリロー夫妻」を反映しているのが、この作品での「ボブとニキータ」である。そのため、本来のニキータの恋人であるマルコがあまりにかわいそうで、筆者は同情を禁じ得ない。マルコを演じるのは『ベティ・ブルー』でお馴染み、ジャン=ユーグ・アングラード。
ジャン=ユーグ・アングラードに「エキセントリックな彼女に振り回される優男」を演じさせたら、彼の右に出る者はいない。『ベティ・ブルー』でも大概かわいそうだったが、この作品でも、負けず劣らず大概である。
先述したが、このマルコとニキータがイチャコラしだしたタイミングで、いつも指令が入る。そのたびに突然ニキータは怖い顔になり、どこぞへ出掛けてしまう。マルコは、悶々としたまま一晩おあずけという放置プレイである。殺生である。薄情である。無体である。
物語の最終局面に、ニキータは姿を消す。ボブに手紙を残して。しかしその手紙はボブに渡ることなく、マルコが破り捨ててしまった。その事実を知って、勝者の笑みを浮かべるボブ。
悔しさをにじませつつも、つとめて冷静にふるまうマルコ。手紙の内容は明らかにされないが、なんとなく察しがついてしまう。『ベティ・ブルー』と続けて観ると、あまりの女運の無さに涙が出る。
どうせニキータやボブは畳の上では死ねないだろう。フランスだから畳はないが。
ただ、マルコにだけは幸せになってもらいたい。
そして、『ニキータ』のススメ
リュック・ベッソンと聞くと、まず『レオン』を思い浮かべる方が多いと思われる。確かに『レオン』は、紛うことなき傑作だ。しかし、『レオン』だけを観て『ニキータ』を観ていないとしたら、非常にもったない。
『ニキータ』にも『レオン』そっくりのビジュアルでジャン・レノが出てくる。でも『ニキータ』のジャン・レノは、雑に出てきて雑に殺して雑に殺される。その間経ったの10分。これは笑うところなのかと、判断に困る。この展開は「『レオン』のパロディ」だと思えば良い。『レオン』の方が後の作品だが。
筆者と同じくボブ役のチェッキー・カリョの可愛さにやられてしまった方は『キス・オブ・ザ・ドラゴン』をオススメする。この作品では、リュック・ベッソンは監督ではなく製作・脚本だが「『ニキータ』や『レオン』の世界観に、あろうことかジェット・リーが迷い込んだ」という奇跡の作品と呼んでも差支えがない。
そして、チェッキー・カリョは『レオン』におけるゲイリー・オールドマンを彷彿とさせる「サイコ系悪徳警部」として、堂々のラスボスを張っている。ネタバレになるため詳細は避けるが、彼の死に様を含めて必見である。
なんにせよ、まず『ニキータ』を観ないことにはなにも始まらない。
話はそれからだ。
(文:ハシマトシヒロ)
【関連記事】ウォーターゲート事件:『大統領の陰謀』で語られなかった真実