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岡田准一は本物だ。
“本物”の武道家が作るアクション映画なんだから、“本物”に決まっている。
かつて『関ヶ原』と『燃えよ剣』でタッグを組んだ原田眞人監督は、岡田准一を指して「超一流の武芸者が俳優のふりをしているような人」と表現した。
「俳優のふりをしている武芸者」の元祖である千葉真一が亡くなった時、“本物の”日本のアクション映画は終わったと思ったが、大丈夫。心配すんな。日本には岡田准一がいる。
本記事ではそんな岡田准一について、武道家の目線から魅力を紐解いてみたい。
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本物の武道家・岡田准一の凄さ
以前の僕は、岡田准一のことを「ちょっと格闘技をかじっているだけのジャニーズ」程度にしか思っていなかった。
あるバラエティー番組にて。岡田准一がキックミットに何気なく蹴った左のミドルキックが、僕の中の“岡田准一感”を180度変換してしまった。そのミドルキックは、“本物”だった。
スネが食い込むムエタイ選手のような蹴りであり、下手にガードしたら、その腕ごと叩き折るような蹴りだった。
ただ“魅せる”だけの蹴りなら、足の甲で弾くように蹴れば、ミットから破裂音がして派手な見た目を演出することが出来る。岡田准一はエンターテイナーとしてこの番組に出ているのだから、本来なら派手な方を選ぶのが当然だ。
しかし岡田准一は、エンターテイナーである前に“武道家”であった。見た目が派手な蹴り方ではなく、より殺傷力の高いリアルな蹴り方を選んだことに、武道家としての強烈な矜持を感じた。
この時から僕の中での岡田准一の肩書きは、「本業:武道家、副業:アクション俳優」となった。
えっ、本業はジャニーズなん? ごめんな、おっちゃんの中ではジャニーズって言うたら光GENJIで終わってんねん。
–{映画作品で見る岡田准一のアクション}–
映画作品で見る岡田准一のアクション
派手さよりもリアルを追求する姿勢は、その主演映画でも随所に見られる。例えば、岡田准一の主演映画の殺陣における決まり手は、絞め技が多い。
1.『SP 野望篇』
『SP 野望篇』におけるベルトを使った絞め。相手自身の腕が首に巻きついた状態で、その上からベルトで圧迫し、肩越しに背負って吊り上げる。この絞めを見た時に、僕は唸ってしまった。
ベルトを直接首に巻き付けて吊り上げたら、それはもう首吊りである。殺してしまう。殺す必要はない。失神させればいい。ベルトと首の間に腕をかませることで、気管は絞まらないが相手自身の腕によって頸動脈は圧迫され、やがて“落ちる”。いわばベルトを使った“肩固め”である。
他にも、ヤスケビッチ式腕十字からオモプラッタに移行し、そのままフットチョークで絞め落とす。流れるような動きが素晴らしい。実際のアクションの素晴らしさについては、どうか映画本編を観てほしい。
2.『燃えよ剣』
『燃えよ剣』においては、土方歳三VS岡田“人斬り”以蔵という“幕末・夢の対決”が、あろうことか絞めで決まってしまうのだ。剣の勝負で劣勢となった土方は、流れるような動きでテイクダウンしたかと思うと、そのままチョークスリーパーで絞め落とす。この土方と以蔵の結末こそ、岡田准一の真骨頂である。
打撃及び剣を含む武器での戦いは、博打的要素が強い。当たらなければ意味がないし、当たったとしても致命傷を負わさなければ、これもまた意味がないのだ。戦いにおいてアドレナリンの出ている人間は、生半可な痛みでは倒れない。そもそも、痛みに気づかない。実際に僕は格闘技の試合中に指を骨折したが、それに気づいたのは試合後だった。
関節技も同様である。アドレナリンの出ている、あるいは覚悟を決めた人間は、骨を折られようが腱を断ち切られようが、向かって来るのだ。そのような人間を制するいちばん効率の良い方法は、意識を絶つこと。
アドレナリンが出ていようが、覚悟を決めていようが、意識を断たれたらおしまいである。
打撃で意識を絶つことも可能だが、それには効率良く脳を揺らす必要があるし、動いている人間にその類の打撃を当てることは至難の業だ。
結局、いちばん使い勝手が良いのが絞めなのである。頸動脈を圧迫することで脳への血流を止め、失神に導く。
また、もう1つの絞めの利点は、フィジカル差や体格差に左右されないことだ。打撃の攻防には、リーチ差や体格差がモロに出る。大きな相手を投げることも難しい。
岡田准一は小柄である。出演者の中でいちばん小さく見えることも稀ではない。そんな小さな岡田准一が、複数の大きな敵を打撃だけでガンガンぶち倒す絵は、それはそれは痛快だと思う。しかし、“本業:武道家”の岡田准一は、そのような“ファンタジー”を望まない。
だからこそ“絞め”である。頸動脈や気管に、体格差は関係ない。
3.『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』
『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』では、女性が三角絞めで男性を絞め落とすシーンがある。素人相手ならともかく、お互いがプロの状況で、圧倒的にフィジカルで劣る女性が勝つには、絞め技が最も説得力がある。普通にハイキックとかで勝ってしまったら興ざめである。
このシーンの殺陣を考えたのも岡田准一だが、やはり徹底的なリアリストであり、武道に対する姿勢はとことん真摯だ。
ちなみに、この「プロの殺し屋なのに女性に絞め落とされる男」を演じた安藤政信は、岡田准一に対して「弟子にして下さい。道場出したら通います」と言っている。名作『キッズ・リターン』において、(元ボクサーの俳優を除けば)映画史上1、2を争うほどのリアルなボクサーを演じた彼をして、そう言わしめている。
だが、まだ甘い。
僕は、「住み込みの内弟子」になりたい。稽古でのせいぜい2〜3時間だけではなく、寝食をともにすることで、すべてを学びたい。
–{俳優・岡田准一 最大の魅力}–
俳優・岡田准一 最大の魅力
“俳優”岡田准一の最大の魅力は、その“色気”だ。岡田准一ファンなら誰もが感じていることだとは思うが、武道家の目線から見てもすごいのだ。
岡田准一の色気は、戦いにおいて最大限に発揮される。ただ勘違いしてほしくないのだが、岡田准一の演じる役柄は、基本的に好戦的ではない。戦いそのものを楽しむ、強い相手との戦いにワクワクするような、そんな悟空や猗窩座のようなメンタリティではない。
岡田准一は、“戦いたくない”のだ。
あれだけの強さを持ちながら、戦わずに済むならそれに越したことはないと思っている。だから、戦いに臨む時の岡田准一は、どこか物憂げだ。
『SP』シリーズ
例えば『SP』シリーズ。よく誤解されているが、SPの仕事は「クライアントを有事から守ること」ではなく、そもそも「有事を起こさないこと」なのである。どれだけカッコ良くクライアントを守ったとしても、有事を起こした時点で、帰ったら大目玉である。
おそらく岡田准一は、戦いながらも頭の中では始末書のことを考えているはずである。「せっかくSP雇ったけど、なんも起きひんかったな~。別にSPいらんかったやん!笑」で終わることが、本来の目的なのである。
『ザ・ファブル』シリーズ
例えば『ザ・ファブル』シリーズ。岡田准一はプロの殺し屋であり、戦いに際して一切の感情はない。
だが、普通の人々と接し普通の暮らしをする中で普通に目覚めた岡田准一は、プロの普通を目指すようになる。人を殺すことは普通ではない。プロの普通になるために、「殺さない殺し屋」を目指す。
『燃えよ剣』&『図書館戦争』シリーズ
例えば『燃えよ剣』や『図書館戦争』シリーズ。岡田准一は守るべきもののために戦うが、戦いは本意ではない。「お前、強いのう!」と笑い、戦いそのものが楽しくて仕方がない岡田“人斬り”以蔵との対決で、そのコントラストが際立つ。
『図書館戦争』における「俺たちは守るために戦うんだ」というセリフが、すべてを表している。
絞めで決めることが多いのは、本当は戦いたくないからではないだろうか。絞め技とは、「相手を傷つけることなく眠らせる」技術である。
岡田准一が望まない戦いに臨む時、岡田准一の色気は最大限に放出される。そんな岡田准一を見る時が、唯一自分が男に生まれたことを後悔する瞬間である。女性に生まれ、思う存分に岡田准一を追っかけたかった。
来世に、期待する。
(文:ハシマトシヒロ)
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