先ごろジョニー・デップ主演の『MINAMATA』(21)が日本でも公開されたことで、改めてクローズアップされている水俣病ですが、ちょうどタイムリーな形で『ゆきゆきて、神軍』(87)『全身小説家』(94)などの巨匠・原一男監督の堂々6時間を超える(372分!)ドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』が公開されます。
(6時間といっても、実質はおよそ2時間×3部作の仕様で、ちゃんと休憩もありますのでご安心のほどを)
水俣問題に関しては、土本典昭監督による一連のドキュメンタリー映画があまりにも有名ですが、原監督は土本監督の遺志を受け継ぎつつ、21世紀の今の視点でこの問題に迫っていきます。
ここでは水俣病とは何ぞやといった基本的なことは冒頭で軽く説明しておいて、メイン・モチーフとしては水俣病に認定してもらうために、それこそ50年以上も国や県と闘い続けている水俣病患者の人たちの熱い心であったり、それゆえの苦悩であったり、またそんな人々にも当然ながら庶民としての日常という穏やかな日々があることまでもじっくりと捉えていきます。
それは何の罪もないのに病魔に侵され、その責任を問いただそうとするも、国や県ののらりくらりした態度、そしてしたたかな対応に苦慮し続ける一般庶民の等身大の姿でもあります。
これまでの原監督作品の中では、対象となる患者の人々へ向けるキャメラアイが、ここまで優しく温かく慈愛深いのも特筆すべき事象でしょう。
もっとも、原監督ならではの粘っこい取材姿勢は、たとえ優しくとも容赦なく、たとえば結婚した患者さんの新婚初夜についてしつこく問いただしてみたり、患者としても活動家としても著名な女性の恋愛談義を、対象となった男性を交えてインタビューするなど、そういった意味での原映画としての探究心も、俄然健在!?
また、彼らをないがしろにし続けながら「水俣の問題は既に解決済み」と世間に思わせたい国や県といった親方日の丸の面々の醜い表情もキャメラは逃すことはありません。
(第1部の最初のほうから、人間ここまで非道な表情ができるものかとでもいった、恐怖すら感じる人物のアップ・ショットを目撃することもできます)
また第1部は水俣病認定に関しての、従来の抹消神経が問題なのではなく脳に原因があると指摘する医師の言動も実に興味深いものがありました。
正直、見る前は6時間という長さに身構えていましたが、実際は物理的時間こそかかるものの3本立ての映画を一気に見たような充足感と映画的満足感ゆえに精神的負担がかかることはほとんどなく、一方では今なお続くこの問題に際しての理不尽極まる体制への怒りなど、さまざまな想いに包まれてしまうこと必至。
ここ四半世紀ほどの原監督のキャリアの中でも映画ファンのみならず必見の最高傑作であると断言しておきます。
(文:増當竜也)
–{『水俣曼荼羅』作品情報}–
『水俣曼荼羅』作品情報
【あらすじ】
日本四大公害病の一つとして知られる水俣病。1956年に公式確認され、今なお補償をめぐる裁判が続いている。ついに国の患者認定の医学的根拠が覆られたが、根本的解決には程遠い。そんな患者たちの戦いを原一男監督は20 年間、まなざしを注いできた。これは、さながら密教の曼荼羅のように、水俣で生きる人々の人生と物語を顕した壮大な叙事詩である。川上裁判により初めて国が患者認定制度の基準としてきた末梢神経説が否定され、脳の中枢神経説が新たに採用されたものの、それを実証した熊大医学部浴野教授は孤立無援の立場に追いやられ、国も県も判決を無視。依然として患者切り捨ての方針は変わらない様子を映す『第1部 病像論を糾す』。小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程、胎児性水俣病患者とその家族の長年にわたる葛藤、90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に賭ける川上さんの最後の闘いなどを追う『第2部 時の堆積』。胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの人恋しさと叶わぬ切なさ、患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん、長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力、水俣病の患者に寄り添い、水俣の魂の再生を希求する作家・石牟礼道子さんなどを取り上げた『第3部 悶え神』。さながら密教の曼荼羅のように水俣で生きる人々の人生と物語を顕した、3部構成372分の一大叙事詩。
【予告編】
【基本情報】
監督:原一男