〈新作紹介〉『記憶の戦争』”虐殺”という名の戦争がもたらすおぞましき記憶を葬り去らせないために……

ニューシネマ・アナリティクス

■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT

1964年から1973年にかけて、韓国はヴェトナム戦争でアメリカを軍事支援し、延べ30万人の韓国軍兵士を派兵しました。

その中で1968年2月12日、南ヴェトナムのクアンナム省ディエンバン市社フォンニィ・フォンヤット村で、大韓民国海兵隊第2海兵旅団(青龍部隊)によって非武装の民間人69~79人が虐殺されました。

〈フォンニィ・フォンニャットの虐殺〉と呼ばれるこの事件、2020年を過ぎても未だに韓国政府及び韓国軍は事実を認めていません。

そして、この事件の“記憶”を追いかけていくのが、CODA(ろう者の両親のもとに生まれた聴者)として自身の両親との葛藤や手話の魅力などを描いた『きらめく拍手の音』(15)で注目されたイギル・ボラ監督です。

彼女をはじめプロデューサーもキャメラマンも、取材を敢行する現地スタッフは女性ばかり。

これは従来の男性目線ではない女性の目線で戦争を見据えていきたいという意図ですが、制作中は「軍隊にも行ってない若い女に、戦争の何がわかる?」などと度々言われた事実もまた、未だにそういった女性蔑視の考えが世間にはびこっていることに愕然とさせられます。

それでも彼女たちは取材を重ねていきます。

その中には耳の聞こえないディン・コムさんや、事件のショックで目が見えなくなったグエン・ラップさんも含まれていますが、CODAのイギル監督らスタッフは、彼らの身振り手振りの言葉を真摯に映像に収め続けます。

事件で家族を殺されて以来、韓国人男性に恐怖を抱きながらも加害責任の損害賠償を国家に求め続けるグエン・ティ・タンさん(タンおばさん)の心も溶かしていきます。

「私は目撃した。それは韓国人だった……」

一方、韓国の退役軍人たちが派兵を“国のための正義の行い”と信じて止まない姿も、キャメラは捉えていきます……。

世界史上、どのような戦争にも虐殺事件の惨劇&悲劇は付いて回るものですが、そこに関わった者たちは自国の正義を信じつつ、それでいて戦場の狂気や恐怖にさらされて常軌を逸し、いつしか非武装の弱き者たちに獣のように襲いかかっていくパターンが大半のようにも思えてなりません。

(実際にヴェトナム戦争へ従軍したオリヴァー・ストーン監督の『プラトーン』でも、そのあたりは明確に描かれていました)

そして、どの国も虐殺の事実を認めたがりません。

イギル監督の祖父も1971年に派兵し、帰還後は枯葉剤の後遺症に苦しみながらも、国から贈られた勲章と表彰状を誇りにしながら亡くなっていったとのこと。

それに対する彼女の忸怩たる想いも、今回の制作に大きく影響を及ぼしているようです。

国家は正義の名のもとに、人をいかようにも野獣に変えることができるという恐怖と、それに対する心構えを本作から学び取っていただければ幸い。

本作はさらに韓国軍兵士が現地ヴェトナム女性を金で買い、妊娠させ、ほったらかしにして帰国していった事例も訴えています。

こういった描出に関しても、実際のところ男性より女性のほうが、より真摯に対処できるのかもしれません。

(文:増當竜也)

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–{『記憶の戦争』作品情報}–

『記憶の戦争』作品情報

【あらすじ】
風光明媚なベトナムのリゾート都市ダナンから車で20分ほどの場所にあるフォンニィ村。陰暦の2月は毎年、村のあちらこちらでお香の匂いが漂うようになる。1968年同日同時刻に亡くなった村人たちを弔うため、残された者たちによって50年間欠かさず、慰霊碑の前で祭祀が執り行われている。「私は目撃した。それは韓国軍人だった」当時を思い出して涙を浮かべるのは、あの日、家族を失ったタンおばさん。コムおじさんはあの日に目撃した出来事を、身振り手振りを交えて再現して見せる。そして、あの日の後遺症で視力を失ったラップさんは、これまで語ってこなかった記憶を絞り出すように口を開く……。 

【予告編】

【作品情報】
監督:イギル・ボラ