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cinemasPLUSさんから「私の推す俳優」企画の話をもらって、うっかり「クリント・イーストウッド俳優論、書きますよ〜」と安請け合いしてしまったあの頃の自分を、フルボッコしてやりたい。なぜ自分は、よりによってハリウッドの生きる伝説ともいうべきイーストウッドを選んでしまったのか。俳優として半世紀以上のキャリアを誇る大俳優論なんぞ、筆者のような最弱映画ライターに書ける訳ないじゃんか!!!
という訳で筆者は今、絶望と無力感の狭間でもがき苦しんでいるのだが、引き受けてしまったからには仕方がない。とりあえず、彼の簡単なプロフィールから紹介していこう。
“健康不良少年”から駆け出しの無名役者へ
(C)Eastwood Directs: The Untold Story
イーストウッドは1930年5月31日、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。イーストウッドの父親・クリントンは、パルプ・製紙会社ジョージア=パシフィックの生産課長で、母親・ルースはIBMで働く事務職。カリフォルニアのなかでも裕福なエリアに住み、自宅はプール付きで、両親が運転する車が2台あったというから、富裕層だったと言えるだろう。
イーストウッドはティーンエイジャーの頃から“健康不良少年”だった。成績不振のためにミドルスクールを留年し、学校の芝生を燃やす(!)という悪行を働いてハイスクールを退学。その後は、新聞配達員、食料品店員、森林消防隊、ライフガード、ゴルフのキャディーなど様々な職を転々とする。やがて仲間の一人から「映画に出演すると小銭が稼げるらしいぞ」という話を聞き、映画のオーディションを受けまくることに。
やがて、SFホラー映画『半魚人の逆襲』(1955年)の端役で映画デビューを果たすが、最初は鳴かず飛ばず状態。しばらくは辛酸を嘗める日々が続いた。ちなみに、みんな大好き『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(1990年)では、全編に渡ってクリント・イーストウッド主演の西部劇『荒野の用心棒』(1964年)へのオマージュが捧げられているが、マーティが1885年にタイムスリップするドライブインシアターに、『半魚人の逆襲』のポスターが貼ってあったりする。あのイーストウッドも、無名時代はB級SF映画に出演していた、と言うギャグなのだ。
なおイーストウッドは、駆け出し時代をこんな風に振り返っている。
ーー「俳優としてのデビューはハードでしたか?」
イーストウッド「そんなことはなかった。だが困難なときもあった。俳優にとって最悪なのは、侮辱だ。そんなもの誰も口にしたりはしないが、これは俳優という仕事の一部をなしている」(『クリント・イーストウッド―キネ旬ムック―フィルムメーカーズ』より抜粋)
いかにもイーストウッドらしいコメントなり。彼は無名時代から己のプライドを大切にしてきた男だ。それは、彼が演じる役柄にも表れているのだが、それについては後述しよう。
–{西部劇を蘇らせ、西部劇を埋葬した男}–
西部劇を蘇らせ、西部劇を埋葬した男
(C)Per un Pugno di Dollari
転機となったのは、テレビシリーズ『ローハイド』(1959年〜1965年)への出演だった。この作品は、南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、何千頭もの牛を市場まで運ぶカウボーイたちの道中を描いた、一話完結型のドラマ。イーストウッドは、隊長を補佐する副隊長ロディ・イェーツを演じ、一気にブレイクを果たす。
そんな彼に、ヨーロッパから映画出演のオファーが届く。当時西部劇はアメリカでは斜陽を迎えていたが、イタリアでは“マカロニ・ウェスタン”と呼ばれるイタリア製西部劇がたくさん作られるようになっていた。新進気鋭の映画監督だったセルジオ・レオーネは、黒澤明の傑作時代劇『用心棒』(1961年)を西部劇に翻案した『荒野の用心棒』(1964年)を準備中で、その主演としてイーストウッドに白羽の矢を立てたのである。
裏話をすると、セルジオ・レオーネにとってイーストウッドは望んだ俳優ではなかった。『十二人の怒れる男』(1957年)で知られる名優ヘンリー・フォンダや、『荒野の七人』(1960年)のジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソンにオファーを出したのだが、ことごとく「NO」を突きつけられる。
困ったレオーネは、『ローハイド』の隊長役エリック・フレミングに話を振るが、彼にも断られてしまう始末。しかしエリック・フレミングは、共演していたイーストウッドに『荒野の用心棒』への出演を勧めていた。いくつもの運命の扉をくぐり抜けて、彼にお鉢が回ってきたのである。
イーストウッドは、『ローハイド』で使っていたブーツとガンベルトをそのまま着用し、“名無しの男”を熱演。セルジオ・レオーネと意見をぶつけ合いながら、ニヒルで寡黙なキャラクターを創造していった。
「『ローハイド』はストーリーがすごく陳腐だったから、その後でセルジオの映画に出るのは楽しかったね」
(『孤高の騎士クリント・イーストウッド』より抜粋)
その後もイーストウッドはレオーネと組んで、『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン』(1966年)と立て続けに主演。『荒野の用心棒』に始まるこの3作品は「ドル箱三部作」と呼ばれ、マカロニ・ウェスタンの金字塔となった。クリント・イーストウッドは、西部劇のスターとしてその地位を確立したのである。
だが前述した通り、アメリカではすでに西部劇は死に絶えたジャンルだった。彼は幽霊化したジャンルを、イタリアという異邦の地で一時的に蘇らせたにすぎない。彼は遅れてきた西部劇スターだったのである。
その後彼は数々の西部劇を次々と創り上げていくが、まるでその行為は、自ら蘇らせたこのジャンルを、自らの手で埋葬するかのようだった。特にアカデミー作品賞を獲得した『許されざる者』(1992年)は、その匂いが濃厚に漂っている。
–{イーストウッドは何を演じてきたのか?}–
イーストウッドは何を演じてきたのか?
(C)アマナイメージズ
トム・クルーズ、ブラッド・ピット、レオナルド・ディカプリオ、マーゴット・ロビー…。今でこそ自分でプロダクションを興して、出演作をプロデュースする活躍する俳優たちも少なくないが、その先鞭をつけたのがクリント・イーストウッドだった。
西部劇のスター俳優としての地位を確立したものの、お仕着せの作品をあてがわれるだけで満足できる男ではない。彼は「俺がつくりたい映画を自由につくる!」という熱意のもと、製作会社「マルパソ・プロダクション」を設立(マルパソとはスペイン語で険しい道という意味)。さらにイーストウッドは、『恐怖のメロディ』(1971年)で監督業にも進出。自らの主演、監督、製作で数々の作品を世に放っていく。
では、イーストウッドはこれまでどんなキャラクターを演じてきたのか?その職業に目を向けて見ると、一定の傾向があることに気づく。
流れ者のガンマン
『荒野の用心棒』(1964年)、『夕陽のガンマン』(1965年)、『荒野のストレンジャー』(1973年)、『ペイルライダー』(1985年)、『許されざる者』(1992年)etc.
軍人
『荒鷲の要塞』(1968年)、『戦略大作戦』(1970年)、『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(1986年)etc.
刑事、警官
『ダーティハリー』(1971年)、『シティヒート』(1984年)、『タイトロープ』(1984年)、『ルーキー』(1990年)、『パーフェクト ワールド』(1993年)etc.
犯罪者
『サンダーボルト』(1974年)、『アルカトラズからの脱出』(1979年)、『目撃』(1997年)、『運び屋』(2018年)etc.
面白いのは、国家機関に所属する刑事・警官・軍人と、国家に反逆する犯罪者という真逆の立場の人間を、それぞれ演じているという事実だ。おそらく彼の中では、そこに大きな違いはない。「刑事だろうが犯罪者だろうが、国家権力と戦ってきた一匹狼のアウトロー」という意味では、同質の存在だからだ。
–{究極の個人主義者}–
究極の個人主義者
(C)2018 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
イーストウッドが演じてきたキャラクターを、ざっくりまとめるとこんな感じだろうか。
1. 家族を持たない設定が多い。
2. 口数が少ない。
3. ケンカが強い。
4. 昔気質な頑固者。
5. 反権力。
例えばロバート・デ・ニーロは、作品ごとにカメレオンのごとく役柄を変えてきた。レオナルド・ディカプリオは、ヒロイックなアイドル俳優からエキセントリックな個性派俳優へとシフトチェンジした。だが、イーストウッドは常にイーストウッドであり続けている。いつも苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をして、憎まれ口を叩き、国家権力に敢然と立ち向かう。その存在自体が、もはや一つのアイコンなのである。
彼はハリウッドスターとしては少数派の共和党支持者で、政治信条的にはリバタリアンと目されている。リバタリアンとは完全自由主義者であり、自由至上主義者。国や自治体からの介入を忌み嫌い、完全なる“自助”を標榜している。この感覚は、若い頃から世界中を旅し、ハリウッド以外でも仕事をしてきた経験によるものかもしれない。彼は、映画の世界において究極の個人主義者であり、現実の世界でもそうなのだ。
「わたしは徹底して個人主義者だから、右でも左でもない」
(『孤高の騎士クリント・イーストウッド』より抜粋)
1930年生まれの彼は今年、91歳を迎えた。そして近々、彼の主演・監督最新作『クライ・マッチョ』が公開される予定である。ハリウッドの生きる伝説は、その反骨精神をスクリーンに叩きつけ、まだまだ我々を感涙させるつもりだ。孤高の騎士の歩みは、とどまることを知らない。
(文:竹島ルイ)
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