『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』は被写体やファッションに興味がなくても楽しめる「職人」を捉えたドキュメンタリーである

映画コラム

「マルタン・マルジェラ」のドキュメンタリーと聞いて、「これは劇場のスクリーンで観ねばなるまい」と考え、オンラインチケット受付開始の10秒前からページをリロードしまくり一瞬で席の予約を済ませる、とまではいかなくとも、映画館に足を運ぶ人は現在の日本にどれくらいいるだろうか。筆者の見立てではそれほど多くないはずだ。

よって、この優れたドキュメンタリー作品である『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ” Martin Margiela: In His Own Words』(以下、『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』と記す)が多くの方にスルーされてしまう可能性は、少なく見積もってもかなり高いだろう。

だが、本作は見逃されてしまう、あるいは気付かれずに終わってしまうには余りにも惜しい。なので「マルタン・マルジェラって名前は知ってるけど、ドキュメンタリー1本観るほど興味ない」といった方や「ドキュメンタリー映画は好きだけど、被写体にあんまり興味がない」ような人のために、ファッション以外の観点からの紹介を試みたい。あ、既に興味ある人はこんな文章読んでないで観に行ってください。素晴らしいので。

もし本作が「優れた職人を映し出した」ドキュメンタリーであったとしたら

「ファッション以外の観点からの紹介を試みたい」と書いたが、本作は紛うことなきファッションデザイナー、マルタン・マルジェラに焦点をあてたドキュメンタリーだ。なので、彼自身やブランド、ファッションに興味がない方は「観るリスト」にも入らないだろう。それは仕方がない。

だが、「マルタン・マルジェラのドキュメンタリー」を「一人の伝説的ファッションデザイナーの半生を、本人自身の言葉で語るドキュメンタリー」としたら、少しだけ観たくはならないだろうか?

さらに、その伝説的なファッションデザイナーは顔写真はおろか、30年以上に渡ってまともにインタビューを受けたことすらない。その彼が、インタビューをすっ飛ばしてドキュメンタリーフィルムに登場するのだとしたら、少しだけ興味が湧いてこないだろうか?

あるいは「世界的に有名だが、メディアに一切登場しない職人の『20年分の仕事』を追ったドキュメンタリー」とすれば、ファッションに興味がない、あるいはマルジェラに興味がない方でも、ちょっとは「観てみたいかも」と感じてもらえるのではないだろうか。

この「職人」に関してのくだりは嘘ではない。本作は、職人を捉えた誠実なドキュメンタリーである。

職人を捉えるからこその、知る快感

ドキュメンタリー作品の醍醐味は「知っていることをより深く知れる」楽しさもあるが、「知らなかったことを知れる」面白さもある。「知らなくても良いことを知る」快感と言い換えても良い。(ある意味)無駄な知識を仕入れる気持ちよさを感じたことのある人は少なくないだろう。

職人にフォーカスを当てる場合、それはより顕著だ。別に色を一瞥しただけでCMYKを1%もズレずに言い当てられる印刷職人の話を聞いても人生の役に立つわけではないし、感覚だけで1ミリの誤差もなく木を削れる木工職人の仕事を見ても明日からの業務で使えるわけではない。

ただ、その「理解できないけどなんだかすっげぇ知識」や彼・彼女らの仕事には感動させられるし圧倒される。その「職人の技や思考」を本作でも味わえるとしたらどうだろう。そろそろ公式サイトを訪問して映画館を探している方もいるのではないだろうか。だとしたらそのままチケットをとって欲しい。

では『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ” 』で披露される職人技や思考とは何か、それは「手」と「匿名性」である。

–{マルタン・マルジェラの「手」と「匿名性」}–

マルタン・マルジェラの「手」と「匿名性」

ついにメディアに登場したマルタン・マルジェラであるが、本作では顔が映されることはない。その代わり、彼の「声」と「手」が映し出される。

マルジェラ時代のドローイングやメモ、子どもの頃に仕立てたバービー人形用の服などが、彼の「手」によって紹介される。その仕草はまさに職人の手付きで、思わずうっとりとしてしまう。

別に筆者が手フェチなわけではない。何かに長けた人物は手の動きが違う。格闘家だろうがバーテンダーだろうが学者だろうが大工だろうが外科医だろうがファッションデザイナーだろうが同じで、ガチの職人は商売道具を扱う手付きが違うのだ。本作は「顔が映せない」制限により、手をメインに映せた点が功を奏している。ここがとにかく素晴らしい。

また、ほぼ完全に匿名性を保っていたマルジェラが、「少しだけ見せる」効果の凄まじさも「職人」であることを強化する。

彼は自分の仕事に対して「受け取り方は人それぞれでいい、そうして欲しい」と語る。職人である。「僕はファッションデザイナー。創るのが仕事だ」とも語る。ギガ職人である。「僕の場合は作品は全てだ」と語る。つまり作品が語り、消費者が語る。テラ職人である。「ファッションで全てを語れましたか?」との質問に一言「NO」と答える。控えめに言ってペタ職人である。

また、自身が退く理由のひとつとして、「ネットの配信が始まって違和感を覚えて、サプライズがなくなってやめた」と語っている。ここもまた職人っぽい。おそらく、SNSが発達した現在で現役だったとしたら、マルジェラはマルジェラとして居られなかっただろう。その点では、彼のクリエイションや匿名性はSNS時代に間に合った、とも考えられる。職人にSNSは必要ない。

さて、『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』は、マルタン・マルジェラという1人の「職人」を誠実に捉えているが、本作にはもう1人の職人が登場する。それは監督のライナー・ホルツェマーにほかならない。彼は『マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』や『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』などの仕事を経て、ついに難攻不落のマルタン・マルジェラまで撮ってしまった。

ドキュメンタリーは必ず「作り手の意図」が介入してしまうので、完全なるノンフィクションとはならないが、だとしても映像内における監督の匿名性は重要である。ライナー・ホルツェマーは巧みに自分の存在を匿名化し、マルタン・マルジェラを撮る。彼もまた職人すぎる。

本作は「仕事」や「匿名性」について、実に様々な示唆に富んでいる。今だから観られるべきドキュメンタリーでもあるし、今後ファッションの歴史を語るうえで重要な作品にもなり得るだろう。つまり時代の風雪に耐えられるということで、まさに一流メゾンの仕立てのような、職人技が光る1作だ。

(文:加藤 広大)

–{『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』作品情報}–

『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』作品情報

【あらすじ】
常に時代の美的価値に挑戦し、服の概念を解体し続けたデザイナー、マルタン・マルジェラは、キャリアを通して公の場に姿を現さず、あらゆる取材や撮影を断り続け、そのすべてが謎に包まれていた。本作は初めてマルジェラ本人が制作に協力し、これまで一切語ることのなかったキャリアやクリエイティビティについて、そして自身に影響を与えた祖母や子供時代について、重い沈黙を破って本人の言葉で語った。「このドキュメンタリーのためだけ」「顔は写さない」という条件のもと、初めて公表するドローイングや膨大なメモ、7 歳で作ったというバービー人形の服などプライベートな記録や、ドレスメーカーだった祖母からの影響、ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタント時代、ヒット作となった足袋ブーツの誕生、世界的ハイブランド、エルメスのデザイナーへの抜擢就任、そして51歳での突然の引退など、そのすべてをマルジェラ自身がカメラの前で明かしていく。突然の引退から10年以上経った今も大きな影響力をもつ謎の天才デザイナー、マルタン・マルジェラが評価され続ける理由とは? マルジェラの創造性と仕事術の全貌が、初めて明かされる。 

【予告編】

【基本情報】
出演:マルタン・マルジェラ(声の出演)/ジャン=ポール・ゴルチエ/カリーヌ・ロワトフェルド/リドヴィッジ・エデルコート/キャシー・ホリン/オリヴィエ・サイヤール 

監督:ライナー・ホルツェマー

脚本:ライナー・ホルツェマー