映画と原作それぞれの魅力をひもとく連載「映画VS原作」。
今回の作品は『君の膵臓をたべたい』です。住野よるのベストセラー小説を浜辺美波・北村匠海主演で映画化したこの作品は、35億以上を売り上げるヒットとなった。
本記事では、原作小説と実写映画について取り上げる。
この先、ネタバレを含みます。
原作のほうがよりひねくれていた「僕」
映画では北村匠海が「僕」のナイーブで皮肉っぽいところを見事に演じていたが、原作の「僕」のほうが独特な鼻につくひねくれた感じをより持っているかもしれない。実写映画の「僕」は、ちょっととっつきにくい感じはありながらも普通に見た目もいいし、なんだかんだいい奴だし、何で友達がいないんだろうという印象が少しある。
原作のほうが「これは友達いないな」感というか、いちいち癇に障る感じがよりあったと思う。だからこそ、そんな「僕」が桜良と接していくうちに惹かれ、彼女を失ったときに感情が揺れるに心打たれるかなとも思う。
映画の「僕」はより人として魅力があるので、どちらもアリだけど!
全く同じシーンで涙腺崩壊
小説を読んで映画も観たが、もらい泣きしてしまったシーンがまったく一緒だった。同じだという方も多いかもしれないが、桜良の死後「僕」が彼女の家を訪れ、共病文庫を読み終わった後
「お母さん、お門違いなのはわかってるんです。でもごめんなさい、もう泣いていいですか」
と言って泣くシーン。他人に興味がなかったし、「当事者が泣いていないのに第三者が泣くのはお門違いだ」というポリシーを持っていた「僕」。
そんな「僕」がこんな風に声を上げて泣くほど、彼にとって桜良が大事な存在になっていた。なのに彼女は死んでしまった。二重の意味で涙が止まらなかった。正直この小説・映画で、自分がこんなに泣くとは思っていなかった。
ちなみにこの部分の小説の表記に感情移入できなかったという声もあるが、「僕」の感情の動きは伝わったので、私はそんなに陳腐には感じなかった。
–{最大の違いとなった、映画独自の後日談(未来)}–
最大の違いとなった、映画独自の後日談(未来)
映画と原作で決定的に違うのは、映画には「僕」や桜良の親友・恭子が大人になったその後があること。大人になった「僕」を小栗旬、恭子を北川景子が演じている。
映画では12年後、母校の教師になった「僕」が、桜良と図書委員をやった図書館に再び足を踏み入れるところから物語が始まる。
原作では「共病文庫」の最後にあった桜良の遺書の下書きが、映画では12年後に図書館から見つかった遺書になっていた。原作がお好きな方はこの改変が嫌だと感じた方もいるようだが、個人的にはそれぞれどちらもいいなと感じた。
個人的に映画版のこの追加設定について、よかったと思うところが数点ある。
ひとつめは、12年後も「僕」にとっても恭子にとっても桜良の存在が変わらず大切なものだったとわかったこと。
ふたつめは個人的な話だが、筆者も若いときに大事な友達を病気で亡くしたので、12年越しに遺書が見つかるのは思いがけずまた会えたみたいで嬉しいだろうなと思った。
もうひとつは、原作の最後の最後に少し感じた違和感が解消されたこと。
原作で桜良の死から1年後「僕」と恭子は友人になっている。これは読み取り方の問題で、誰もがそう思ったわけではないし、むしろ少数派かもしれない。
個人的にその仲の良い会話が二人がこれからくっつくような、少々いちゃついているような空気を感じてしまった。実際続編小説の内容などを知るとそうではないようなのだが、二人とも桜良のことをあんなに大事に思ってたのに? みたいな白けた気持ちに少しなったのだ。
またこの未来が加わったことで、ガム君がより魅力的ないい役になっているところも良かった。高校時代の矢本悠馬も大人になった上地雄輔もいい味出しているので、これから観る方はぜひ注目してほしい。
浜辺美波の桜良がとにかく素晴らしかった
映画のもっともよかったところは、何といっても浜辺美波が桜良役を演じたことだと思う。
原作がある映画を観る場合、もともと原作を読んでいて映画を観るパターンと、映画を観てから原作を読むパターンがあると思う。だが『君の膵臓をたべたい』において、筆者の場合はこのどちらにも当てはまらなかった。
原作が話題になっているのは知っていたが、当時はそんなに読む気が起こらなかった。映画館で予告映像を観て映画化されることを知り、何度か予告を観るうちにどうにもその中の浜辺美波、特にこちらを振り向いたときの笑顔が気になってしまって、映画まで待ちきれず原作を買って読んでしまった。
当時は彼女の名前は知っていたものの特別ファンだったわけでもないし、完全にその動画だけの魅力に惹かれた。イレギュラーだが、この順番で観た(読んだ)からこそ実写映画も原作も楽しんで受け入れられた気がする。どちらか片方だったら、ここまで好きにならなかったかもしれない。
高校生でありながら、病気と闘い余命いくばくもない。内心葛藤がありながらも、「僕」やクラスメイトの前では笑顔だった桜良。自分が死ぬことをあっけらかんと話し、少々エキセントリックな行動に出て「僕」を振り回す女の子。やもするとわざとらしく、イタい感じになってしまいそうな桜良をこんなにも自然に、かつ魅力的に演じられたのは浜辺美波しかいなかったのではないかと思う。
また桜良の死後に「僕」が読む「共病文庫」のシーンでは、必然的に声のみの出演となるのだが、その声が本当に素晴らしかった。普段の弾けるような笑っているような桜良、一人で泣いたと書いてあるところは声が震えて泣き声になり、病気が悪化して元気がないときのか声のかすれ方……。そして、一時退して「僕」に会えるとなった時に楽しそうな声に戻るところ。
声優さんじゃないのに、声だけでこんなにも心情が伝わってくるのがすごいし、もういない桜良が愛おしくてたまらなくなる。愛おしいし悲しいし、大好きだ。
そして繰り返しになるが、あの笑顔。桜良の、楽しさとかいたずらっぽさとか愛おしさとか、いろんな感情ひっくるめてくしゃっと笑ってるようなあの笑顔には、この作品でしか出会えない気がする。
みなさんそれぞれ、いろんな俳優さんに対して「この人のこの役が忘れられない」という思い出があると思うが、私にとって浜辺美波の山内桜良役は、間違いなくそのひとつだ。
単なるお涙ちょうだいものだと思わず、一度観てほしい
私もはじめはお涙ちょうだい系だと思っていたけど、小説と映画のどちらも良かった。タイトルの奇抜さや取り上げられ方は一旦置いておいて、映画の予告だけでも観てみてほしい。
また小説か映画、どちらかしか知らないという方も、ぜひもう一方に触れてみてほしい。あらためて両方の魅力を感じられるのではないかと思う。
(文:ぐみ)
–{『君の膵臓をたべたい』作品情報}–
『君の膵臓をたべたい』作品情報
ストーリー
高校時代のクラスメイト・山内桜良(浜辺美波)の言葉をきっかけに母校の教師となった僕(小栗旬)は、教え子の栗山(森下大地)と話すうちに、彼女と過ごした数ヶ月を思い出していく……。重い膵臓の病を患う桜良が密かに綴っていた「共病文庫」(=闘病日記)を偶然見つけたことから、僕(北村匠海)と桜良は次第に一緒に過ごすようになった。だが、眩いまでに懸命に生きる彼女の日々は、やがて終わりを告げる……。桜良の死から12年。結婚を目前に控えた桜良の親友・恭子(北川景子)もまた、僕と同様に桜良と過ごした日々を思い出していた。そして、ある事をきっかけに、僕と恭子は桜良が12年の時を超えて伝えたかった本当の想いを知る……。
予告編
基本情報
出演:浜辺美波/北村匠海/北川景子/小栗旬/大友花恋/矢本悠馬/桜田通/森下大地/上地雄輔 ほか
監督:月川翔
原作:住野よる
公開日:2017/7/28 (金)
製作国:日本