末恐ろしい子役がいる。1歳の頃から芸能界でCMや各広告の仕事をし、2016年NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」ならびに2016年公開『永い言い訳』にて女優デビュー。その後ドラマや映画を中心に着実にキャリアを積み重ねてきた。白鳥玉季は2021年3月現在でわずか11歳。子役はたくさんいるのかもしれないが、これほど末恐ろしい子役はそうそういない。
映画初出演となった、西川美和監督作品『永い言い訳』から同監督作品2021年公開『すばらしき世界』、そしてブレイクのきっかけともなったTBS系ドラマ「凪のお暇」と日テレ系「極主夫道」を中心に、その末恐ろしさを紐解きたい。
西川美和監督作品『永い言い訳』『すばらしき世界』に出演
(C)2016「永い言い訳」製作委員会
西川監督自らが筆を執った同名小説を映画化。本木雅弘演じる主人公・衣笠幸夫は小説家で、筆名を津村啓としている。担当編集者で浮気相手でもある女性と寝ている最中、バス旅行に出かけていた妻(演・深津絵里)が急死。負い目もあり上手く悲しめない中で、バス旅行に同行していた妻の友人の家族たちと出会う物語。白鳥玉季が演じるのは、その娘の灯(あかり)ちゃんだ。
手足も細く声もキンキンと高い、その様は紛れもなく子どものそれなのだが、白鳥玉季が演じているのはただの子どもには見えない。いかにも「子役が演じている子ども!」「子どもらしい子ども!」ではないのだ。そこにいるのは、スクリーンに映っているのは、誰にとっても身近にひとりやふたりはいるような、市井の子ども。白鳥玉季の演技を見ていると「そうだ、子どもってこういう顔するよね」「どんなに小さくても、場の空気を読んで黙るような面もあるよね」と思わせられる。誰かの想像上の子どもではなく、実際に地に足つけて生きている実存の子どもがそこにいるのだ。
竹原ピストル演じる父親と、藤田健心演じる長男がちょっとしたことをきっかけに深刻な喧嘩をしてしまうシーン。別室で寝ていた灯ちゃんを捉えるカットがあるのだが、たった数秒にも関わらず印象は根強く残る。目を見開き、じっと耳をそばだててているだけ。それなのに、その表情からはさまざまな感情が読み取れるのだ。いま出ていって止めるべきか否か、じっと寝ているフリをしているべきか否か……。大人たちは子どものことをある意味「見くびる」ことが多いが、どっこい、子どもたちは思った以上に多くのことを受け取り、考え、悩んでいる。それを教えてくれる自然な演技を、たった数秒で見せてくれるのが白鳥玉季だ。
映画初出演となった『永い言い訳』と同監督である『すばらしき世界』にも、白鳥玉季は出演している。役所広司演じる主人公・三上正夫が、元妻(演・安田成美)のところへ訪ねていくシーン。元妻の子どもである西尾あゆみ役を演じた。ほんの数分の出演だが、わざとらしいところが一切ない演技にさらに磨きがかかっている。
良い意味でも悪い意味でも、子役の演技はどこか「子役らしい」ところがある。必死に繰り返し暗記してきた台詞を、後生大事にあたためながら、ここぞというタイミングで大きな声で張り上げる。ああ、がんばって練習してきたんだなあ……と目を細めながら見守りたくなる演技が多い。
それが悪い、というわけではないのだ。ただ、白鳥玉季にはその「見守りたさ」がない。声を張り上げることもなく、台詞を呟くだけのシーンも多いのだ。しかし、それが本来の子どもらしさであり小学生らしさではないだろうか。「こういう小学生、いるよな~!」と思わせられる。小学生だからといって、元気満点に朗らかな子どもばかりではないだろう。
–{ブレイクのきっかけ「凪のお暇」地位を不動にした「極主夫道」}–
ブレイクのきっかけ「凪のお暇」地位を不動にした「極主夫道」
1歳からキャリアを積んできた白鳥玉季。ブレイクのきっかけとなったのはTBS系ドラマ「凪のお暇」で演じた白石うらら役だろう。黒木華演じる主人公・凪が仕事や人間関係をすべて精算し移り住んだアパートで出会う小学生。最初はつっけんどんで無愛想だが、顔を合わせるたびに挨拶をし、徐々に一緒に遊んだりご飯を食べたりしながら、関係性を深めていく。
このうららちゃんが、またとんでもなく可愛らしいのだ。最初こそ無愛想だが、心を開いたあとの懐き方や笑顔がたまらなく愛おしい。その匙加減もまた絶妙で、それこそ「最初から人懐っこい小学生なんて、そうそういないよね」と思わせられる。知らない人に話しかけられたら用心するように、と教えられる今時の小学生らしい警戒心も、また自然だ。
同じく小学生役を演じている日テレ系「極主夫道」は記憶に新しいだろう。玉木宏演じる龍と川口春奈演じる美久とともに暮らす、娘の向日葵役だ。龍と向日葵は血の繋がらない親子だが、付かず離れずの距離でバランスのいい関係性を築いている。
この距離感が原因で、第9話ではひと悶着起こる。「連れ子ゆえに愛されていないのではないか」と悩む向日葵の様子は、子どもから大人の心へと成長しつつある、思春期の女の子らしい知性も感じさせるのだ。変に力まず、でも言いたいことは伝える。子ども特有の無愛想さもありながら、心を開いたあとの天真爛漫さにはホッと心が緩む。
白鳥玉季の演技には「自然で在ろうとする不自然さ」がなく、どこまでも自然にそこに在る。大物俳優との共演歴は他にも引けをとらない。今後の白鳥玉季がどのような作品に出演するのか、心待ちにしたい。
(文:北村有)