『アイヌモシリ』レビュー:民族のアイデンティティと対峙する少年の想いとは?

映画コラム

 (C)AINU MOSIR LLC/Booster Project

『鬼滅の刃』の一大ブームもそうですが、漫画やアニメーション、即ち文化の力とは恐ろしい(=面白い)もので、野田さとる原作のコミック&アニメ『ゴールデンカムイ』の大ヒットもまた、若い世代に北海道の先住民アイヌの存在や魅力などを幅広く知らしめることになったような気もしています。

小説でも実話を基に、明治から第2次世界大戦に懸けての樺太(サハリン)アイヌ男性とポーランド人民俗学者の運命を描いた『熱源』が直木賞を受賞。

私のような昭和世代としては、忍びとして育てられたアイヌの青年が蝦夷から北極海、アメリカ西部、そして幕末の維新戦争まで一気に駆け抜ける矢野徹の同名小説をアニメーション映画化したりんたろう監督の『カムイの剣』(85)が、今も伝説的な存在です。

アイヌ差別と和解を描いた石森延男の『コタンの口笛』も名匠・成瀬巳喜男監督のメガホンで1959年に実写映画化されていますね(北海道出身・伊福部昭の音楽も素晴らしいものがありました)。

そういえば「冒険コロボックル」(73~74)というTVアニメがありましたが、佐藤まさる&村上勉の原作童話の基となったアイヌの伝承コロボックルと、西洋の『白雪姫』に出てくる7人の小人たちの相似性を記した論文を読んだことがあります。

またアイヌ文化と沖縄文化も相似性があるなど、小さな地域の文化伝承を語ることで、ワールドワイドな興味にまで広がっていく歓びみたいなものが、“アイヌ”というキーワードには大いに秘められている感もあります。

今回ご紹介する映画『アイヌモシリ』も、ワールドワイドな視線による企画とワールドワイドなスタッフ編成によって作られ、ワールドワイドな高評価を得た作品です。

そう、この作品には……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街512》

世界中の少数民族が独自の文化をいかに継承していくか? といった問題を通して、現代社会を生きていく上での民族のアイデンティティを、14歳のアイヌ少年の目線で問いかけていく意欲作なのでした!

アイヌの少年が見据える思春期と文化の伝承

本作の舞台はとなるのは、北海道阿寒湖畔のアイヌコタンです。

14歳の少年カント(下倉幹人)は幼い頃からアイヌ文化に触れながら暮らしていましたが、1年前に父を亡くしてからそういった活動から遠ざかるようになり、今ではすっかりバンド活動に没頭する毎日。

中学を卒業したら、高校進学のために地元を離れる予定でいます。

そういった彼を、アイヌ民芸品を営む母(下倉絵美)はいつも優しい眼差しで見守っています。

あるとき、父の友人でアイヌコタンの中心的存在でもあるデボ(秋辺デボ)はカントを自給自足のキャンプへ誘い、そこで改めてアイヌの精神や文化への興味を持たせようとしていきます。

そしてデボは、ひそかに育てていた子熊の世話をカントに託します。

世話を続けるうちに、どんどん子熊に対する愛着が沸いていくカント。

しかし、その子熊は長年行われていなかった熊送りの儀式“イオマンテ”を復活させるために飼育されていたものでした……。

–{“アイヌモシリ”とは“人間の世界”を意味する}–

“アイヌモシリ”とは“人間の世界”を意味する

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映画『アイヌモシリ』の主人公は、バンド活動に明け暮れつつ、進学に悩む、どこにでもいる普通の少年です。

アイヌの血を引いていることに、一体どれほどの意味があるのか?

しかし一方では、だんだん廃れていきがちな独自の文化を、いかに継承していくかに腐心している大人たちの思惑から逃れるのも困難なようです。

大人たちは大人たちで、いくら古くからの習わしとはいえ、今の時代に生贄を必要とするような儀式をわざわざ復活させる必要があるのか? と賛否の議論が白熱していきます。

こういった問題はアイヌに限らず、独自の文化を抱く世界中の民族の人々に共通のものなのでしょう。

かくして本作は、『CUT』『Ryuichi Sakamoto:CODA』などのエリック・ニアリと『あの日のオルガン』『閉鎖病棟』などの三宅はるえがプロデュース、撮影監督は『神様なんかくそくらえ』『グッドタイム』のショーン・プライス・ウイリアムズ、音楽はヨハン・ヨハンソンやマックス・リヒターと共作してきたクラリス・ジェンセン&アイヌ音楽家でトンコリ奏者でもあるOKIが務めています。

まさにワールドワイドなスタッフ編成に支えられながら、監督を務めたのは北海道出身でNYに渡米して映画活動を続ける福永壮志。

初の長編映画『リベリアの白い血』が第21回ロサンゼルス映画祭最高賞受賞など高い評価を受けた彼ですが、たとえばアメリカではネイティヴ・アメリカンに対する国民の意識が高く、また世界中で移民や民族を扱った映画灘が多いのに比べて、日本ではなかなかアイヌに対する理解度が低いことを痛感させられたのを機に本作の企画を立ち上げ、およそ5年の月日を得て完成させました。

こういったワールドワイドな視線で貫かれた映画であることを鑑みれば、第19回トライベッカ映画祭国際コンペティション部門審査員特別賞を、第23回グアナファト国際映画祭国際長編部門最優秀作品賞を受賞したのも当然の帰結といえるでしょう。

また、そういった民族のアイデンティティの問題以外でも、本作は亡き父への少年の想いを通して、親と子の絆といった、これまた世界共通のモチーフを巧みに描出しているのも美徳のひとつです。

主人公のカント少年を演じる下倉幹人をはじめ、多くの出演者は実際のアイヌの人々で、それゆえか時折ドキュメンタリーを見ているかのような味わいもあり、それがまた虚実相まみえた映画ならではの魅惑を増大させてくれています。

アイヌを題材にしながら、その実、出自にまつわるアイデンティティや、独自の文化や伝承といかに対峙していくべきかといった問題、さらには思春期の悩みと心の揺れ、親と子の絆など、実にどの国どの世代にも共有できる普遍的な要素を多々内包し得た作品です。

タイトルの『アイヌモシリ』とは「アイヌ=人間」「モシリ=大地」の組み合わせ。

即ち「人間の世界」といった意味を成す言葉なのでした。

(文:増當竜也)