『MOTHER マザー』レビュー:驚異!長澤まさみ演じる母親は、聖母か?怪物か?

映画コラム

(C)2020「MOTHER」製作委員会

映画業界もようやくラインナップが固まってきて、延期になっていた作品群も徐々に公開時期が発表され始めるようになっています。

長澤まさみ主演による人気ドラマの劇場版シリーズ第2弾『コンフィデンスマンJP プリンセス編』も7月23日より公開が決定し、ファンは一安心というところでしょう。

ただ、実はその前に彼女のファンならば、いや映画ファンならば絶対に見逃してほしくない映画がもう1本公開されます。

タイトルは『MOTHER マザー』。そのものずばり母親を主人公としたものではありますが、ここで長澤まさみが演じる母親とは……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街481》

今まで彼女が見せたことのない、まるで怪物(モンスター)のように周りの人々すべてを狂わせていく究極の毒親であるとともに、それでも子どもらにとっては聖母(マリア)のように映えてしまう、衝撃の“マザー”なのでした!

自堕落に生き続ける母と彼女に付き従う息子

映画『マザー』は、実際に起きた17歳の少年による殺害事件にヒントを得て、想像の翼を自由に膨らませたフィクションに昇華させながら、母と子の関係性を描いた問題作です。

息子の周平(郡司翔)とともにその日暮らしの生活を送るシングルマザーの秋子(長澤まさみ)は、これまでも散々両親や妹から借金してはばっくれるといった体たらくを繰り返した挙句、ついに愛想をつかされてしまいます。

しかも、ふとしたことで出会ったホストの遼(安部サダヲ)と意気投合した彼女は、周平を学校にも行かせずに部屋に残したまま外で遊び惚けてスッカラカンに……。

電気もガスも止められた部屋に戻ってきた秋子は、以前から自分に気が合った市役所職員の宇治田(皆川猿時)を脅して金をせしめようとしますが、誤って遼が宇治田を刺してしまい、かくして母子と遼は逃亡の旅へ。

しかもそのさなか、秋子の妊娠が発覚し、責任を負いたくない遼は失踪。

それでも秋子はラブホテルの従業員・赤川(仲野大河)を誘惑し、その敷地内に居候しながらしぶとく生き続けつつ、周平を実家へ向かわせて金の無心をしようとするのですが、逆に母(木野花)の怒りを買って絶縁されてしまうのでした。

そして5年後、秋子は相も変わらずぐうたらな生活を続け、17歳になった周平(奥平大兼)が学校へ行かずに幼い妹・冬華(浅田芭路)の面倒を見ていました。

やがて3人に児童相談所の高橋亜矢(夏帆)ら職員の救いの手が差し伸べられ、簡易宿泊所での生活が始まり、そこで周平は亜矢から学ぶことを教わり、喜びを感じるようになっていくのですが、そんなふたりに秋子はイラついていきます。

さらにはそこに、遼が再び現われたことから、またも運命の歯車が大きく狂い始めていき……。

–{理屈では割り切れない母と子の関係、そして人生}–

理屈では割り切れない母と子の関係、そして人生

(C)2020「MOTHER」製作委員会

いやはやなんとも、すさまじい映画であり、とんでもない母親です。

人間ここまで自堕落に、身勝手に、そして本能の赴くまま赤裸々に生きられるものなのかと疑いたくなるほどの強烈なヒロイン像であり、いくら長澤まさみが演じているとはいえ、そこにはもう可愛らしさのカケラもなければ共感するポイントを見出すことも難しいでしょう。

しかし、それでも彼女に付き従う子どもたち、特に息子からの母への眼差しには諦念のようなものこそ感じられつつも、怒りや不信の念といったものを垣間見ることはありません。

それを単に“母と子の絆”の域で語ってしまうと、どうにも作品の本質を見誤ってしまうような懸念もあります。

また、次々と男をとっかえひっかえしては翻弄し、逆に翻弄され続けもしていく秋子という女性の魅力(と呼んでいいのかすら悩むところであります)とは、一体何なのか?

理屈で考えるとわからないことだらけの女性ではありますが、しかし理屈では割り切れないのもまた人間のサガというもので、結局よくわからないまま、さまざまな人々の謎めいた言動に引きずられながら生きているというのが、人生の実情なのかもしれません。

そんな“わからない”母親を長澤まさみは“熱演”と安易に記してしまうとちょっと違うのではないかといったスタンスで飄々と演じており、そこから不可思議なオーラが映画全体に発散されていきます。

また彼女自身の美貌が一切損なわれることなく描出されることで、それは息子の目から見据えた“美しい母”の姿なのかもしれないとも想像できます。

17歳の周平を演じた奥平大兼(本年度の新人賞候補の筆頭でしょう!)の目の輝きが映画の進行とともにどのように変わっていくか、逆に長澤まさみの目の輝きがいかに変わっていかないか、戦慄のクライマックスから、もはや言葉にできないラストの余韻まで、映画を見る側もまた一瞬たりとも目を離せないカタルシスに見舞われていくこと必至でしょう。

監督の大森立嗣は、『日々是好日』(18)『母を亡くした時ぼ、僕は遺骨を食べたいと思った。』(19)のような人生のそこはかとない感動を呼び覚まさせるものから、『ぼっちゃん』(13)『さよなら渓谷』(13)など社会と犯罪の関係性の中から現代を生きる人々の闇や本質を鋭くえぐることに長けた異才で、今回は後者の資質を存分に活かしながら、驚異とも衝撃ともつかぬ母と子の姿を描出していきます。

そして最後の最後まで見終えると、本作が真に何を描こうとしていたのかが、おぼろげながらも理解できるかと思われますが、それは各々が直接作品を見て、感じてください。

(文:増當竜也)