映画『淪落の人』レビュー:人生のどん底にいると絶望する弱者を優しく前に誘う人間ドラマの秀作

映画コラム

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長く生きていると人間もいろいろで、いかにも健康そうだった人が急死したり不慮の事故に遭ってしまったり、大病を患っていた人がかなり長生きしてみたりと、美輪明宏などが説く正負の法則ではありませんが、人生ってものは不幸と幸福のアップダウンを繰り返しながら、トータルでプラス・マイナス・ゼロになるものなのかと思わされたり、一方では一生何不自由なく生きていられる人も多々見受けられたり……と、とにもかくにも嗚呼、人生。

今回ご紹介する香港映画『淪落の人』も、人生のどん底にあった男と女が、やがて信頼関係を育みながら希望を見出していくもの……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街436》

主演のアンソニー・ウォンは脚本を読んで大いに惚れ込み、また低予算での製作を余儀なくされていることを知って、自らノーギャラでの出演を申し入れたとのことです。

国籍も年齢も性も異なる障がい者と介護者の交流

『淪落の人』には二人の主人公がいます。

まずは男。リョン・チョンウィン(アンソニー・ウォン)は突然の事故で下半身不随になってしまい、妻とは離婚、妹(セシリア・イップ)との関係もギクシャクしたもので、今や人生にほとんど希望を見出せないままの日々を送っています。

数少ない救いは、唯一の友人ファイ(サム・リー)との世間話と、海外に留学中の息子(ヒミー・ウォン)の存在くらいでしょうか。

自由に体を動かせないいらだちもあってか、日に日に偏屈になっていくかのようなチョンウィンのもとにはなかなか住み込みの家政婦も居つかず、また新たな人材が派遣されてきました。

フィリピンから来た若い女性エヴリン(クリセル・コンサンジ)。彼女がもう一人の主人公です。

広東語が話せないエヴリンに最初は苛立ちを隠せないチョンウィンではありましたが、片言の英語を使うことでようやくコミュニケーションがとれるようになり、次第に心を通わせていくことに……。

一方、エヴリンはもともと写真家を目指していましたが、生活のためにやむなくその道をあきらめ、香港に出稼ぎにきていたのでした。

ただ、今も心の中では夢を追い求めているようで、そのことを知ったチョンウィンは……。

–{『淪落の人』(原題“淪落人”)が持つ本当の意味}–

『淪落の人』(原題“淪落人”)が持つ本当の意味

本作は障がい者と介護者、中年男性と若い女性、香港とフィリピンなどなど「対」の関係性をさりげなくも際立たせながら、人生の機微を優しく描出していく人間ドラマの秀作です。

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主人公ふたりが男女の仲になるといったメロドラマ的な展開に陥ることはなく、あくまでも互いの理解者として関係を深めていくあたりも、リアルであると同時に好感が持てるところでもあります。

環境や文化、思想の相違などを無理やり乗り越えようとするのではなく、互いを認め合い、寄り添っていこうとする作品そのもののメッセージ性も大いに共感できるところで、また香港の四季折々の風景が美しく捉えられていくことで、ふたりの人生をささやかながらも応援していこうという姿勢も感動的に映えわたっています。

監督のオリヴァー・チャンは幼い頃に母が事故で車椅子生活を余儀なくされ、姉は進学をあきらめて介護に専念し、その分自身が家族を養えるように猛勉強していったとのことで、その間の生活はかなり困窮しつつ、しかしながら今振りかえると一番幸せな時期でもあったと回想しています。

そんな彼女があるとき、フィリピン人女性が中年男性が座る車椅子の後ろに乗りながら、お互い楽し気に路上を走り去っていく光景を偶然目の当たりにしたことが、本作を作るきっかけになったとのこと。

障がい者と介護者、国籍の違い、男と女、そして車椅子という正に小さな人力でも駆け抜けていける人生という、まさに彼女自身のキャリアを物語る映画としても『淪落の人』は屹立しているのでした。

ちなみに原題“淪落人”にもある「淪落」には「落ちぶれる」とか「身を持ち崩す」といった意味がありますが、本作では白居易の『琵琶行』の一節「同じく是、天涯淪落の人。何ぞ必ずしも、曾て相職らんや」から採ったとのこと。つまりは……

「この映画の主人公ふたりも人生のどん底にあるけれど、縁あって出会った以上はその縁を大切にすべきではないか」

といったチャン監督の想いが込められているのです。

人生に底なし沼というものは本来存在せず、もし今、自分が人生のどん底にいると嘆いているのならば、それ以上沈むことはないのだから、後はそこから上るか上らないかを決めるのも自分次第。今、上れなくても、いずれはチャンスはめぐってくる……。

おそらくは自分が強者の側であるとうぬぼれている人ではなく、弱者であることに忸怩たる想いをしている人にこそ、この映画は訴えかけてくれることと思われます。

映画には勝利や正義を鼓舞するイケイケなものも多数ありますが、実はこうした底辺にたたずむ人々を厳しくも優しく見据えることにこそ、実はもっとも力を発揮するのではないか。

少なくとも、この『淪落の人』にはそういった真の勇気ある力がみなぎっていると確信しています。

それは「必見!」などと、実は案外拳を振りかざしているような強気の言葉を使うことすらためらわせるほどの、ささやかで心優しい未来へ誘う秀作でもあるのでした。

(文:増當竜也)