(C)2019 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
1930年5月31日生まれのクリント・イーストウッドのキャリアを振り返ってみますと、映画スターとして大ブレイクした『荒野の用心棒』(64)から時を経て89歳の今に至るまで、ほぼ毎年のように出演もしくは監督作としての新作を世に送り出していることに驚きを隠せません。
特に21世紀に入ってからは出演作こそ減ったものも、老境の域など全く感じさせないエネルギッシュで力強い話題作や問題作を監督し続けています。
そんなクリント・イーストウッドの最新作『リチャード・ジュエル』もまた実話を通してアメリカ社会の闇を描きつつ、現代社会におけるメディア・リンチの闇を世界中に訴え得た傑作でした……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街430》
本作の主人公は警備員リチャード・ジュエル。1996年アトランタ・オリンピック開催時の爆弾テロ事件の被害を最小限に食い止めた英雄であったにも拘わらず、何と容疑者にされてしまった男の痛恨と反撃のドラマです。
マスコミとFBIの思惑で英雄から容疑者に転じた男
映画『リチャード・ジュエル』の主人公リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は人を信じて疑わない善良な男で、愛国心と正義感にあふれ、警備員の仕事も社会のため人のためと、誇りを持ちながら日夜働いています。
もっともこの男、ちょっと融通が利かな過ぎて、どんな罪に対しても過剰に対処しがちゆえにトラブルも多いのがタマにキズではあります。
そんな彼がアトランタ・オリンピック開催中の1996年7月27日、センテニアル公園のベンチの下に怪しいリュックを見つけました。
まもなくしてそれは爆弾であることがわかり、リチャードは時間のない中で人々の避難に尽力し、被害を最小限に食い止めます。
マスコミは彼を英雄として祭り上げ、リチャードの母ボビ(キャシー・ベイツ)も、どちらかというと頼りないことに日々やきもきしていた我が子の快挙に大喜び。
しかしその3日後、FBIが彼を事件の第一容疑者としてみている旨の報道がなされたことで状況は一転!? リチャードは英雄転じてテロリストとしてアメリカ中の国民からバッシングされるようになってしまうのでした。
マスコミの報道が過熱し、FBIの執拗な捜査が進められていく中、リチャードはかつて知り合いであった弁護士のワトソン(サム・ロックウェル)に助けを求めます。正義感に篤く心根の優しいリチャードの人間性を知るワトソンはFBIの捜査体制などに疑問を抱き、彼の無実を信じて立ち上がるのですが……。
本作は今からおよそ四半世紀前の事件を扱ったものですが、きちんと裏の取れていないネタをスキャンダラスに報道して一人の人間を陥れていくメディアの罠や、犯人逮捕にあせるがゆえのFBI=体制側のプライドがもたらす愚劣な陰謀といった事象の数々は、むしろSNSが浸透してフェイクニュースが日常茶飯事のように世の中をかき回し続けて久しい現代にこそ警鐘を鳴らし得る作品として屹立しています。
本作がフィクションであれば、これほど面白いサスペンス・ドラマはないでしょう。
しかし、これは現実に起きた事件であり、本来なら社会正義のもとに行動しなければならない官憲側やマスコミが犯した愚行により、人はいつでも「被害者」転じて「加害者」にさせられてしまうという恐怖に慄然とさせられること必至。
そしてこれこそはクリント・イーストウッドが追い求め続ける社会と人間の光と闇、そして罪と罰の関係性に他ならないでしょう。
–{人生の罪と罰を問題的し続けるクリント・イーストウッド監督}–
人生の罪と罰を問題的し続けるクリント・イーストウッド監督
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マカロニ・ウエスタンやダーティ・ハリー・シリーズなどで大スターとなったクリント・イーストウッドではありますが、いざ自身が監督する作品となると、そのデビュー作『恐怖のメロディ』(71)からしてストーカーを題材にしたサスペンス劇であり、その後も集団リンチで殺された男の亡霊の復讐西部劇『荒野のストレンジャー』(72)、レイプされた女性の復讐劇『ダーティハリー4』(83)、足を洗って久しい老ガンマンがその非道さを蘇らせていく『許されざる者』(92)、死刑囚の冤罪を訴える『トゥルー・クライム』(99)、25年に及ぶ殺人事件の真相究明が救いのない友情劇をもたらす『ミスティック・リバー』(04)、自身が育てた女性ボクサーの再起不能に際して下される老トレーナーの究極の罪と罰の決断『ミリオンダラー・ベイビー』(05)、硫黄島の戦いの英雄米兵らのその後の苦悩『父親たちの星条旗』(06)、人種差別主義者とアジア系移民家族との奇妙な交流とその意外な顛末『グラン・トリノ』(08)など、どこかしら社会がもたらす人間の心の闇に対して“陰”的要素を際立たせていく作品が多くうかがえます。
(一方では快活な現代西部劇『ブロンコ・ビリー』やメロドラマの秀作『マディソン郡の橋』95、オヤジらが宇宙で熱く燃える痛快SF『スペースカウボーイ』00のようなものも多数手がけています)
『リチャード・ジュエル』は初代FBI長官として強権を奮った男の実像を描いた『J・エドガー』(12)主演のレオナルド・ディカプリオが製作に参与しており、一方では同じく実話の映画化で飛行機事故を未然に防いだ機長がその判断の是非を問う事故調査委員会の厳しい追及にさらされる『ハドソン川の奇跡』(16)とも共通する要素が見受けられます。
本作がイーストウッド映画らしいと唸らされるのは、やはりリチャード・ジュエルという主人公のキャラクターを決して聖人君子にしていないところで、どちらかというとクセのある愛国的かつ正義、そして何よりも人間そのものを過剰に信じてやまない姿勢の数々は、時に鬱陶しく忌避したくなるものもないわけではありません(そんな彼のキャラを熟知した上で弁護にあたるワトソン役のサム・ロックウェルの、ちょっと彼にうんざりもしている風情もナイスなのでした)。
しかしイーストウッドはインタビューでリチャードのことをあくまでも「普通の人間」と発言しています。
どんな人間にも善かれ悪しかれ独自の個性があり、そんな“普通”の人間を普通ではなくさせてしまうものとは一体何なのか? それこそをイーストウッドは訴え続けているように思えてなりません。
何よりも人を信じて疑わず、国を愛し、正義を愛してやまなかったリチャード・ジュエルは、そうした“国の正義”のもとに疑われ、アメリカ全土の人々に蹂躙されてしまったのです。
映画としての語り口の達者さは他の追従を許さぬほどで、とても80代後半の人間が監督したとは思えない力強さですが、あえて以前と少し変わったかなと思わせるのは、やはり演出タッチが幾分か優しく温かくなったことでしょう。
特に本作の場合、普通の人間の人生をメチャクチャにしてしまった社会の闇を訴えつつ、その当事者たち(FBIやマスコミなど)すらどこかしら許容している節が感じられます。つまりは個々の犯した罪そのものを罰することよりも、そうした些細な過ちの積み重なりが取り返しのつかない巨悪をもたらしていく恐怖と、それに打ち勝つ奇跡はあり得るのか否かをイーストウッドは今なお模索し続けているように思われるのです。
なお、実話の映画化なので事件の顛末そのものは少し調べればすぐわかることですが、未だに詳細を知らない方はぜひ映画そのものから、無実のリチャード・ジュエルとその周辺の人々がどのような運命をたどっていったかを確認してみてください。
ちなみに、今もネットをぐぐるとリチャード・ジュエルのことをテロリストと誤って誹謗中傷したコメントなどが見受けられるとのことです……。
(文:増當竜也)
–{作品情報・公開情報}–
作品情報
タイトル
=リチャード・ジュエル
公開日
=2020年01月17日
製作国
=アメリカ
上映時間
=129分
ストーリー
1996年、アトランタ・オリンピック開催中に爆破テロ事件が勃発。不審なバックを発見した警備員リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)の迅速な通報によって数多くの力で多くの人命が救われた。だが、爆弾の第一発見者であることでFBIから疑われ、第一容疑者として逮捕されてしまう。ジュエルの窮地に立ち上がった弁護士のワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)は、この捜査に異を唱えるのだが…。
監督
クリント・イーストウッド
脚本
ビリー・レイ
出演
サム・ロックウェル、キャシー・ベイツ、ポール・ウォルター・ハウザー、オリビア・ワイルド、ジョン・ハム
公式HP:richard-jewell.jp