『未来のミライ』が賛否両論になった「10」の理由 

映画コラム

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現在、『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督の最新作、『未来のミライ』が公開されています。

これまでの細田守監督作品は、(一定以上の評価がありつつも)極端なまでに賛否両論になることがよくありました。今回の『未来のミライ』はさらに毀誉褒貶が激しく、「こんな映画だとは思わなかった」などと良くも悪くも驚きの声も上がっているようです。

ここでは、これまでの細田監督の特徴や作家性を振り返りつつ、なぜ『未来のミライ』がここまで賛否の分かれる作品になっているのか……大きなネタバレのない範囲で、10項目に分けて、その理由をたっぷりと解説してみます。

1:わかりやすい冒険活劇なんかじゃない! 良くも悪くも“細田守監督にしかできない”作品だ!

本作を観た多くの方が抱くのは、“困惑”なのではないでしょうか。「4歳の男の子と未来からやってきた妹との不思議な冒険!」「小さな庭から時を超えた世界の旅が始まる!」といった物語の触れ込みではありますが、わかりやすいエンターテインメント性、ハラハラドキドキする冒険活劇や、心から感情移入できる登場人物の魅力などを期待すると、確実に裏切られてしまうでしょう。

なぜなら、本作の内容をごく端的に表せば「ワガママで小憎らしさも目立ってきた4歳の男の子の生態をたっぷりと描き、それと並行して“脈絡なく”王子と名乗る男や成長した妹が庭にやってきて、過去や未来へタイムスリップするばかりか、さらにとんでもない世界にも迷いんだりもする」というものだからです。まるで白昼夢を見ているかのような、良くも悪くも“観念的”で「なんでそうなるのかわからない」というモヤモヤが初めに存在している作品なのです。

とは言え、本作がつまらない、駄作だから観なくてもいいなどと一蹴してしまえるということもありません。(詳しくは後述しますが)細田守監督の作家性や価値観が全面に表れており、細田監督以外にはできないであろう、突出した魅力も確かにあるのです。

『未来のミライ』がこのような内容になったのは、いくつかの理由が考えられます。中でも大きいのは、“細田監督が自身の子供を参考にして物語を作り上げた”ということと、“脚本家の奥寺佐渡子さんが今回は関わっていない”ことでしょう。(以降の項で解説します)

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2:細田守監督の息子の“嫉妬”と“夢”から物語が作られていた! 

細田守監督の作品は自身の経験が色濃く反映されることが多く、とくに『サマーウォーズ』以降は実際の家族の関係が作品に取り込まれています。

『サマーウォーズ』では妻の実家で親戚一同が集まっていた時の驚きと戸惑いが反映され、『おおかみこどもと雨と雪』では周りの母親がカッコよく見えたことが製作のきっかけになり、『バケモノの子』では自身に息子が生まれ「子供はどうやってこの世界で成長していくのか」と考えたことが物語の基盤になっていました。

※『バケモノの子』の製作のきっかけは、こちらの記事でも解説しています↓
□『バケモノの子』細田守監督の“狙い”がわかる5つのこと

今回の『未来のミライ』はさらにわかりやすく、細田監督の息子の“生まれてきた妹に対してのリアクション”から着想を得ています。それは「新しく生まれた赤ちゃんにいきなり親の愛を奪われて、それまではすごく愛されて育ったのに、どん底に落ちたように感じている」という“嫉妬”の感情によるもので、実際にその息子は(映画本編と同様に)床で泣き叫んで転び回っていたこともあったのだとか。

しかも、細田監督はどういう夢を見ていたかを、起きたばかりの息子に聞きながら『未来のミライ』をどういう話にするのかを決めていったのだとか。その夢には「大きくなった妹に会ったよ」というのもあり、そのまま映画に取り入れられていたのです。

つまり、ワガママな4歳の男の子が主人公になったのは、これまでの作品でも共通していた“現実の家族の関係を作品に落とし込む”という細田監督の作家性によるところが大きいということ。そして白昼夢のような不思議な体験をするというのは、現実の4歳児が本当に見ていた夢を参考にしたためでもあるのです。

ちなみに、一軒家の庭でタイムスリップをするのは、細田監督によると「児童文学では庭を介して子供が重要なことによく出会うから」いうのが理由なのだとか。時空を超えた冒険はするものの、基本的にはその庭だけで物語が展開しているということも、本作の大きな特徴と言えるでしょう。

–{まるでホームビデオ? 4歳の男の子のリアルな動きがスゴい!}–

3:まるでホームビデオ? 4歳の男の子のリアルな動きがスゴい!

物語のことはまず置いておいて、アニメーション作品として「これはスゴい!」と賞賛できるポイントが本作には確かに存在しています。その1つが“4歳の男の子の動き”がものすごくリアルで、元々が“絵”だとはとても思えないこと。階段で足を揃えて上り下りをしたり、補助輪なしの自転車で転んだり、そうした動作の一つひとつが「現実でもこうだよなあ」と感心してしまうばかりなのです。

細田守監督は1995年に製作された『ユンカース・カム・ヒア』というアニメ映画が大好きで、その何気ない日常を映しているだけで“(キャラクターが)まるで生きている”ということに感動を覚えていたと語っています。これまでの細田監督作も同様に、アニメで作られた人間の動きが“まるで生きている”と実感できるほどの現実の人間への洞察力、アニメへその動きを落とし込むという確かな描写力がありました。 

※『ユンカース・カム・ヒア』については、こちらの記事でも紹介しています↓
□『サマーウォーズ』の素晴らしさ徹底解説!ポイントは“責任”と“肯定”

『未来のミライ』の劇中では、そんな4歳の男の子のリアルな動き、そして日常をたっぷりと映しているので、まるでホームビデオを見ているような感覚すら覚えます。「アニメなのに、現実の4歳の男の子の動きそのままだ!」ということには、他の作品にはない感動があることでしょう。また、生まれたばかりの赤ちゃんのかわいらしさ、指をちょっと触ったときの“ビクッ”とした動きなども、ものすごくリアルなものになっていますよ。

……しかしながら、この“まるで4歳の男の子のホームビデオ”というのも、間違いなく賛否が分かれるポイントです。主人公のくんちゃんは“イヤイヤ期”の後期で、ワガママを超えて小憎らしさもあり、時には本気で怒られることもしでかし、時には耳障りな泣き声もあげます。子供が好きではないという方、「他人のイヤイヤ期の子供のホームビデオなんか観たくないよ!」と思う人にとっては、そもそも厳しい内容なのかもしれません。

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4:上白石萌歌の声が4歳の男の子に聞こえない?

細田守監督作品では、本業が声優ではない、俳優やタレントを主要登場人物に起用するということがよくあります。今回の『未来のミライ』では、残念ながら“上白石萌歌の声が4歳の男の子の声に聞こえない”という、否定的な声も多くあがっているようです。演技がとても上手いとは言え、気になってしまうと最後まで違和感があるままになってしまうのかもしれませんね。

ちなみに、元々くんちゃん役は6歳から10歳くらいの年齢の男の子をオーディションで選ぼうとしていたのですが、妹のミライちゃん役のために来ていた上白石萌歌にくんちゃんを演じてもらったところ、泣き声を含めて“くんちゃんに出会った”という感覚があったため、細田監督が彼女の起用を決めたのだそうです。確かに、(普段の声に違和感があったとしても)泣き声は4歳の男の子にしか思えないほどに真に迫っていたものがありました。

なお、黒木華や麻生久美子など他キャストは文句のつけようのない上手さ! 特に星野源の気の弱いお父さん、とあるカッコいい青年を演じた福山雅治はハマりすぎで、なんだか悔しくなるほどでした。この2人のファンにとっても必見作と言えるでしょう。

–{奥寺佐渡子さんが脚本を手がけていなかった! その結果は……?}–

5:奥寺佐渡子さんが脚本を手がけていなかった! その結果は……?

これまでの細田守監督作品には、映画版『八日目の蝉』やドラマ「リバース」などを手がけていた脚本家の奥寺佐渡子さんが関わっていました。『時をかける少女』と『サマーウォーズ』では奥寺さんが単独で脚本を手がけ、『おおかみこどもの雨と雪』では奥寺さんと細田監督が共同で脚本を、『バケモノの子』では細田監督が脚本を手がけるようになっていたものの奥寺さんは“脚本協力”でクレジットされていました。

これまでの奥寺さんの脚本はやはり素晴らしく、特に『時をかける少女』では高校生になった少年少女のモラトリアム期間における葛藤、タイムリープというSF要素、二度とは戻ってこない青春の物語としての輝きなど、すべての要素が有機的に絡み合っており、それがダイナミズムのある物語運びと結びついた、ほとんどの人が「おもしろい!」と言える内容になっていました。

※『時をかける少女』の魅力については、こちらの記事でも解説しています↓
□細田守監督『時をかける少女』もっと奥深く考察できる7つのポイント

続く『サマーウォーズ』はかなりエンターテインメントに寄った作品であり、こちらも奥寺さんの物語の構築力がかなりプラスに働いたことは疑いようもありません。『おおかみこどもと雨と雪』は極めて実験的な内容でありながら様々な要素の“積み立て”や登場人物の成長がじっくりと描かれており、『バケモノの子』の前半も“新冒険活劇”という触れ込み通りにストレートに楽しめる物語に仕上がっていました。

しかし、今回の『未来のミライ』では奥寺さんは脚本協力すらしておらず、細田監督が単独で脚本を手がけています。もしくは、前述したように息子のリアクションや見ていた夢を参考にしていているので、今回の脚本は細田監督と息子との“共作”と言ってもいいのかもしれません。

その結果どういうことになったのか……ごく端的に表現すれば、“小さなエピソードから構成される短編集のようなイメージが強くなり”、“いくつかのテーマが有機的に結びついておらず”、“展開そのものに納得できないことも多くなり”、その上“肝心のテーマを言葉でベラベラと喋ってしまう”という……申し訳ないですが、ネガティブに感じる要素が多くなってしまったと言わざるを得ません。(こちらも以降の項で詳しく解説します)

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6:実は“タイトル詐欺”? 『バケモノの子』の後半の内容とそっくりだった?

前述したように、本作の物語のアイデアの発端は、細田守監督の息子の、妹に対しての“嫉妬”という感情です。序盤では確かに、主人公のくんちゃんのワガママさがしっかり描かれていたため、その後は未来から来た妹と共に時空を超えた旅に出発し、そして成長していくんだろうな……と思っていました。

しかしながら、その妹への嫉妬という要素は、序盤で提示された以降はかなり脇に追いやられてしまい、(ネタバレになるので詳しくは書けませんが)別のテーマを描く割合の方がはるかに多くなってしまっています。

少し具体的に言うのであれば、その“未来から来た妹のミライちゃん”の登場シーンそのものがかなり少なく(体感で15分程度)、描かれることの大半は“4歳の男の子のホームビデオ”か“4歳の男の子が妙な世界に迷いこむ(タイムスリップする)白昼夢のようなシーン”なのです。これでは、『未来のミライ』が“タイトル詐欺”と言われてしまってもフォローできないではないですか!

タイトルが詐欺っていること以上に問題なのは、極端なバランスの話運びのために、“4歳の男の子の成長”という最も重要なはずの要素に、ひどく納得しにくくなっているということです。しかも、ホームビデオ→白昼夢→ホームビデオ→白昼夢……のような“繰り返し”で構成されているため、単調さも否めず、要素を“積み立てていく”印象もあまりなく、後半で提示されるあるテーマ(しかも言葉でわかりやすく説明してしまう!)との結びつきもかなり弱く感じてしまいました。

そんなわけで、前述した『時をかける少女』のような“よくできた物語”は、本作には期待しないほうがいいでしょう。しかも、“タイムスリップをする理屈”は具体的に説明されることがなく、最後までその疑問は晴れません。その結果、「どうしてタイムスリップするの?」というモヤモヤを抱えた上に、始終「一体この映画はなんなんだ?」という困惑を(良くも悪くも)誰もが覚えてしまう内容になっているのです。

また、『未来のミライ』の全編は、前作『バケモノの子』で特に評価が分かれていた、後半の物語にも似ています。様々なメタファーが具現化された観念的な世界に迷い込んだようで、物語の整合性には乏しく、そのくせテーマやメッセージはセリフとして“説明してしまう”のですから……この『バケモノの子』の後半が受け入れられなかったという方は、本作も今ひとつに感じてしまうのかもしれません。

–{恐怖! “ケモナー”の趣味が唐突に出てきた!}–

7:恐怖! “ケモナー”の趣味が唐突に出てきた!

細田守監督は、“ケモナー(人間の特徴を持った動物キャラに愛情を注ぐ人)”であるとよく言われています。『サマーウォーズ』から『バケモノの子』まで“獣人”と呼べるキャラクターが登場しており、そのモフモフっぷりはかなりのフェチズムを感じさせました。

本作『ミライの未来』でも、やっぱりその細田監督のケモナーの趣味が出ており、主人公の4歳の男の子が獣人化するのですが……その過程があまりに唐突で意味不明! 細田監督によると「くんちゃんはまだ“兄”というアイデンティティを確立できておらず、尻尾を奪って犬になることで、兄という役割から解放されようとした」ということらしいのですが、映画本編を観ると脈略なく「4歳の男の子がケモノになったらかわいいじゃんか」とぶっ込んできたようにしか見えません。

この“4歳の男の子が脈略なく獣人化する”というシーンは予告編でも観られるためTwitterなどで散々イジられていたのですが、それはまだ序の口でした。劇中では、さらにくんちゃんがとある変態的なことに目覚めるシーンがあるのですから(まだ4歳なのに)! これは劇中で一番笑いが起こっていたシーンではあるのですが……細田監督自身が自分の趣味を隠さなすぎで、ちょっと怖くもなってきました。

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8:“異世界すぎる東京駅”がヤバい! 特殊な一軒家はプロの建築家が作り上げていた!

そんなわけで「一体この映画はなんなんだ?」と良くも悪くもクラクラしてしまう要素が満載の『ミライの未来』ですが、終盤に迷い込む世界の異質さは(良い意味で)さらにヤバいことになっていきます。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、あの“異世界すぎる東京駅”だけでも、劇場で観る価値があるでしょう。

この東京駅に登場する、“平面的”で不気味な駅員を作り上げたのは絵本作家の“tupera tupera”。もはやホラー映画のような恐ろしさを覚える“黒い新幹線”も実際の新幹線のデザインをしている川崎重工業のプロが担当していたりもします。

そして、誰もが印象に残るであろう、階段だらけで全体的に“斜め”になっている特殊な一軒家も、建築家の谷尻誠さんが手がけていたりもします(その設計にかけた期間は1年以上)。この斜めの構造は、『時をかける少女』の踏切があった急な坂道、『おおかみのこどもの雨と雪』の雪山を駆け下りるシーンに通ずる“印象的な坂道”を作り上げるという目的もあったようです。

その他、スタイリストの伊賀大介さんも『おおかみこどもの雨と雪』と『バケモノの子』に続き衣装を担当しています。他のアニメ作品とは違う“様々な分野のプロと共にアニメ作品を作り上げる”という気概が、細田守監督作品にはあるのです。映像をパッと見たときの“ルック”に並々ならぬこだわりがあり、大きな魅力になっているのは疑いようもないでしょう。

また、『未来のミライ』の主な舞台は横浜市の磯子区および金沢区の周辺になっています。くんちゃんが自転車に乗る練習をしていた場所も根岸森林公園という実在する公園がモデルで、その背景に見えていた黒い建物は“廃墟になった競馬場”なのだとか。こちらに“聖地巡礼”してみるのも楽しいかもしれませんよ。

–{細田守監督の“家族観”とは? “自己批判的”な言及もあった!}–

9:細田守監督の“家族観”とは? “自己批判的”な言及もあった!

細田守監督作品が賛否両論を呼ぶ大きな理由の1つは、前述したように細田監督が実際に経験した出来事が色濃く作品に反映され、その結果として独自の“家族観”がはっきりと表れ、それに迎合できないとどうしても否定的に見てしまいがちになってしまうからなのでしょう。

しかしながら、細田監督もその自身の家族観や作家性を冷静に捉えているようで、劇中の登場人物が“批判的なセリフ”を口にすることがよくあります。例えば、『おおかみこどもの雨と雪』では母親が“自分1人で判断していた”愚かさが十分に描かれていましたし、『バケモノの子』でもダメ人間が子供を育てることへの言及や絶対的な価値観を持つことの危うさなどが描かれていました。

※『おおかみこどもの雨と雪』における“批判的なセリフ”はこちらの記事でも解説しています↓
□『おおかみこどもの雨と雪』なぜ狼の姿でSEXをしたのか?賛否両論である理由を考える

本作『ミライの未来』の奇妙すぎる一軒家も、序盤に「建築家と結婚すると、まともな家には住めないってことなのかしら」という、はっきりと批判的なセリフが出てきます(小説版ではこの家についてさらに批判的な物言いがされています)。

また、本作における家族関係、特に両親が共働きでかなりの収入があり、父親が家で仕事ができるので家事育児も担当できる……といったことにも、“理想化された家族像”のような居心地の悪さを覚える方もいるかもしれません。しかし、今回はそこにも冷静な批判、フラットな視点が込められたセリフがありました。

つまり、細田監督にはある1つだけの家族観を“押し付ける”という意図は全くないということです。むしろ「現代では家族の“型”が固定化されていないから、それぞれが模索しながら自分らしい家族との関わり方を見つけてもいっていいんじゃないか」という“提案”をしている(その型の1つを例として描いている)、という塩梅なのでしょう。

物語の最後に、ミライちゃんと、お父さんとお母さんが口にすることには、“面倒でもある家族の向き合い方”について、細田守監督らしい優しいメッセージが込められていました。そこに押し付けがましさを感じることはまずないでしょう。

こうした自己批判的な言及、フラットな視点がこれまでの作品よりも目立ってはいるので、細田監督の家族観が苦手だったという方も、今回は受け入れられやすいのかもしれませんね。もっとも、その他の部分で、さらに賛否両論になる要素が噴出しまくっている気もしますが……。

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10:もはやアート系映画? 次回作では“チューニング”を期待するべき?

『未来のミライ』の特徴をごく簡単にまとめれば、細田守監督の作家性が最大限に発揮された一方で、これまで作品を支えてきた奥寺佐渡子さんが脚本を手がけていないため、しかもリアル息子の夢を参考にしたために、バランスが良い作品とはお世辞にも言えない、4歳の男の子のホームビデオを眺めていたり、たまに支離滅裂かつ奇妙な夢を見ているような感覚を得る内容になっている……ということです。しかも、細田監督の伝えたいこと、テーマやメッセージはそのものは、これまで以上にわかりやすくなっていました(セリフとしてそのまま提示されますし)。

事実、観終わった後に思い浮かんだのは、『パプリカ』や『スローターハウス5』や『インランド・エンパイア』や『ツリー・オブ・ライフ』などの(ものすごく語弊はありますが)“訳のわからないアート系映画”でした。大々的に公開されているファミリー映画で、ここまでの“変な作品”はなかなか類を見ない、だからこそ映画館で観る価値があるとも言えるでしょう。

※『スローターハウス5』については、こちらの記事でも紹介しています↓
□新海誠監督が『メッセージ』を見て語ったこと

とは言え、そうした特徴が、これまでの細田監督作品よりもさらに賛否両論を呼んでいるというのも事実です。せっかく『君の名は。』で新海誠監督という作家性を最大限に活かしつつ、エンターテインメント作品として完成させた川村元気さんという超実力派のプロデューサーも関わっているのですから、次回作ではその『君の名は。』と同様に、細田監督の作家性を生かしたまま、誰もが楽しめる作品として“チューニング”をすることが必要になるのかもしれません。

いずれにせよ、細田監督のファンとしては『未来のミライ』はいろいろな意味でおもしろい映画でしたし、次回作も細田監督にしかできない“唯一無二”の魅力が満載になっていることは間違いないでしょう。楽しみにしています。

–{おまけ:もっとも似ているのは『となりの山田くん』?}–

おまけ:もっとも似ているのは『となりの山田くん』?

余談ですが、『未来のミライ』に似ている家族映画を1つ挙げるのであれば、『ホーホケキョ となりの山田くん』になるでしょう。

短いエピソードの連なりで大きなテーマを扱っていること、可愛い絵で描かれたキャラクターたちがまるで生きているように感じられること、1つの家族のあり方を“提案”していることなどが共通しています。故・高畑勲監督の作家性が「これでもか」と表れた作品でもあるので、ぜひ一度はご覧になってほしいです。

※『ホーホケキョ となりの山田くん』の魅力はこちらの記事でも解説しています↓
□高畑勲監督の最高傑作は『ホーホケキョ となりの山田くん』である! 厳選5作品からその作家性を語る

(文:ヒナタカ)

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