©2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ
映画『あゝ、荒野』の前篇が10月7日、後篇が10月21日に、2部作連続で公開されます。
本作は上映時間が合計で305分になるという大作。しかしその時間をあっという間に感じられる面白さに満ち満ちており、スタッフと役者たちのとてつもない熱量に溢れた傑作でした!ネタバレのない範囲で、その魅力を以下に紹介します!
1:R15+指定ギリギリの過激さ!菅田将暉のお尻と肉体美に惚れろ!
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本作の大きな目玉と言えば、実力も人気も日本で最高峰の俳優・菅田将暉の主演作であること。間違いなく言えることは、彼のファンであれば、絶対に、絶対に、映画館で観なければならない!ということです。
菅田将暉の魅力がどこにあるのか? ということには様々な意見があるとは思いますが、個人的にはとてつもない美青年であることと、良い意味で“狂犬”のような粗暴さがあることは外せません。
本作での役は、そんな菅田将暉が超フルスロットル! 少年院から出てきたばかりの不良で、その行動は直情的で暴力的なのですが、その一方で素直さや純真さもたっぷりと見せていくので憎めません。粗野な性格であるのに(だからでこそ)、この主人公が大好きになってしまうというのは、菅田将暉が元々持っているイメージ、人間としての魅力によるところも大きいのでしょう。
さらに、今回はR15+指定にふさわしく……いや、そのレーティングでもギリギリなんじゃないかと思える、菅田将暉による過激な濡れ場が満載! その若々しい肌、シャツから覗かせた細マッチョな肉体があらわになっていく過程、“攻め”の姿勢の愛撫、そしてシャワー室でうっすらと見える綺麗なお尻など、男から見てもドキドキしてしまう、菅田将暉の圧倒的な性的魅力を全開に出してくれるので、頭がクラクラしっぱなしでした。
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ちなみに、菅田将暉のセックスの相手となった木下あかりは、「初めまして」と挨拶をしてから、わずか3分後に濡れ場の撮影に挑んだのだそうです。劇中でもこの2人は“行きずり”のような過程で抱き合うので、この“いきなり”の濡れ場の撮影は、むしろプラスに働いていたと言っていいでしょう。
※筆者は以下でも菅田将暉の魅力について書いています。合わせてお読みください。
・菅田将暉 4つの魅力!『ディストラクション・ベイビーズ』の“極端”なキャラクターも見逃すな!
–{2:もう1人の主人公は菅田将暉と正反対!その関係性にも萌えろ!}–
2:もう1人の主人公は菅田将暉と正反対!その関係性にも萌えろ!
©2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ
もう1人の主人公を演じたヤン・イクチュンは、韓国出身の俳優です。監督・製作・脚本・編集・主演と1人5役を務めた『息もできない』でキネマ旬報ベスト・テン外国映画ベスト・テン第1位のほか数多くの賞を受賞し、『夢売るふたり』や『中学生円山』などの日本映画にも出演、国内外から高い注目を集めているお方なのです。
『あゝ、荒野』においては、ヤン・イクチュンは菅田将暉とまったくの正反対の役柄を演じています。彼は吃音に悩み、赤面対人恐怖症で、父に暴力で支配され続けているという内向的なキャラクターで、だからでこそ“あっけらかん”としている菅田将暉と打ち解けていくのです。
幸せとは言えない人生を送ってきた彼らが、“年齢や個性がまったく違うからこその相性の良さ”を見せていくのは、何とも和みます。言い換えれば、粗野な美青年と、不器用なおじさんという関係性に、超・萌えるのです。男同士の“ブロマンス”要素を期待する人にとっても、本作は必見と言えるでしょう。
–{大迫力のボクシングシーンを見逃すな!役者とスタッフの魂を削るような熱量を感じろ!}–
3:大迫力のボクシングシーンを見逃すな!役者とスタッフの魂を削るような熱量を感じろ!
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本作の物語は、正反対の2人の男がボクシングに出会い、お互いに“違う道”を進みつつも、時には衝突し、または高めあっていくというもの。名作マンガ「あしたのジョー」や、北野武監督の映画『キッズ・リターン』を思い出す方も多いでしょう。
そのボクシングシーンの迫力、命をぶつけ合うかのような惨烈さは、特筆に値します。まったくの素人であった2人が、徐々にボクサーとして“出来上がって行く”過程がとてもリアルであり、そのパンチやフットワークは「本物のプロボクサーにしか見えない!」と思えるほどなのですから!
菅田将暉の役作りも、並大抵のものではありません。もともと細身だった彼は本作のために“増量”を開始、本番の一週間前まで炭水化物を減らしていき、以降は完全にカット。そして試合の前日からすべての飲食を解禁して、撮影当日に体のキレが最高の状態になるように調整をしていったのだとか……いや、それもう、俳優というより本物のアスリートのやり方じゃないか!
対するヤン・イクチュンは、菅田将暉とは逆に“減量”を開始。ジムのロケセットの中で、真夏にサウナスーツを着込んで、電気ストーブの前に座って、増量をしている菅田将暉の体重に合わせていったのだとか……いや、それもう、まさに「あしたのジョー」の力石徹じゃないか!
前述した菅田将暉と木下あかりの濡れ場もそうですが、本作『あゝ、荒野』は撮影時の環境が、作中の物語やキャラクターに絶妙にシンクロしているのです。彼らの演技が、もはや演技でなく、ドキュメンタリーのように、実在している人間のように“本物”に見えるのは、役者のこれ以上のない努力の賜物でしょう。
さらに、菅田将暉は本作『あゝ、荒野』について、以下のように語っています。
「こんなに男の涙が見れる映画は無いと思います。魂を削り、魂を吸い取られ、魂を与え、魂を受け取った作品です」
まさに、本作は役者たちの、魂の慟哭が聞こえてくるような本気、下手すれば彼らの寿命が縮んでいるじゃないかと思うほどの「何かを犠牲してまで最高の映画を作りたい」という、志が伝わってきます。
その役者たちの熱量を、カット割りを多用しない“長回し”で、余すことなく取り続けたスタッフたちの尽力も推して知るべきでしょう。拳闘のどの場面でも目が釘付けになり、まばたきをするのも惜しいほどの感動がある……。近年の『クリード チャンプを継ぐ男』や『ウォーリアー』に続き、またしても傑作と呼べる格闘技の映画が日本から生まれたことが、嬉しくて仕方がありませんでした。
※実は近未来の設定だったって本当? 次のページで解説します!
–{実は近未来の物語だった!寺山修司への圧倒的なリスペクトも満載!}–
4:実は近未来の物語だった!寺山修司への圧倒的なリスペクトも満載!
©2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ
本作の原作となるのは、なんと50年以上も前(1966年)に出版された、寺山修司による小説です。主役2人のキャラ設定や、一部のシーンやセリフは映画でも再現されていますが、年代設定が2020年の東京オリンピックの後(2021年という近未来!)になるなど、大胆なアレンジも加えられていました。
小説のあとがきにて、寺山修司は「大雑把なストーリーを決めておいて、あとは全くの即興描写で埋めていくという、モダン・ジャズのような手法で書いてみようと思っていた」「最初からわかっていたものは何一つとしてなかった」などと答えています。つまりは良い意味で行き当たりばったりで、その自由奔放な語り口も魅力になっていました。
映画では、この原作にあったエッセンスを十分に採り入れた上で、終幕に向けてあらゆる要素が“計算”されたかのような、物語としての圧倒的な完成度を備えていました。多数の人間が織りなす、関係性が多層構造で積み上がっていく“群像劇”としての魅力はさらに増し、(役者の魅力も相まって)彼らの葛藤はよりダイレクトに響いてくるでしょう。
やや唐突に挟まれる“自殺防止研究会”のパートも、その自由かつ哲学的な思想も盛り沢山だった小説に、多大なリスペクトを捧げていると言っていいでしょう。ドローンや動画共有サイトといった現代的なものが登場する一方で、ちょっとでも寺山修司の演劇を知っている人であれば、「寺山修司だ!」と気付ける、奇妙なビジュアルのパフォーマンスも展開するのですから。
そして、主役2人の物語と、まったく関係のないように見えるその自殺防止研究会のパートは、やがて有機的に結びつき、大きな意味を持つようになります。“スポ根”としての醍醐味にとどまらず、群像劇としての面白さ、哲学的思考をも促してくれる本作の、なんと贅沢なことでしょうか!
–{脇役の魅力も要チェックだ!実は“笑える”作品でもあった!}–
5:脇役の魅力も要チェックだ!実は“笑える”作品でもあった!
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主演の菅田将暉とヤン・イクチュンはもちろん、本作はその脇を固める豪華俳優陣も見どころです。
例えばジムのトレーナー“片目”役のユースケ・サンタマリアは、うさんくささ、飄々とした雰囲気も大きな魅力となっており、時折クスクスと笑えるギャグも飛ばしてくれます。
その“片目”の師匠を演じたのは、『冷たい熱帯魚』のでんでん。あのトラウマものの猟奇的殺人犯の時と同じテンションでスパーリングを求めてくるのが、イヤで仕方がありませんでした(※褒めています)。
忘れてはいけないのが、菅田将暉の因縁のライバルを演じた山田裕貴。『HiGH&LOW』シリーズで演じていた不良高校生を思い出させる、タフな精神と暴力性を兼ね備えたキャラクター性と、主役2人に負けないボクシングシーンの迫力には鳥肌が立ちっぱなしでした。
そのほか、スケベな実業家を演じた高橋和也、大人の魅力が全開の木村多江、最低な父親役のモロ師岡、自殺研究会の病的な青年役の前原滉も、痛烈な印象を残すでしょう。
そうそう、菅田将暉が『セトウツミ』や『銀魂』でも見せた、“ツッコミのキレ”が冴え渡っていることにも触れなければいけません。ユースケ・サンタマリアとの掛け合いはもはや漫才のようになっており、劇場ではクスクスと、時には割れんばかりの爆笑も起こったのですから。
『あゝ、荒野』がエロティックかつ、暴力的なシーンも多い作品ながら、どこか親しみやすさもあるのは、この“意外と笑える”ことも大きな理由でしょう。
–{前篇だけでも気軽に観てほしい!}–
まとめ:前篇だけでも気軽に観てほしい!
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『あゝ、荒野』 は、前後篇を合わせると上映時間が5時間以上に及ぶという大作なので、「退屈しちゃわないかな?」「面倒だな」などと、二の足を踏んでしまう方も多いのではないでしょうか。結論から言えば、そんな心配はまったくしなくてよいです!
実際に映画を観ると、どのキャラクターも愛おしくなり、劇的なクライマックスへの伏線も盛りだくさんで、1つとして無駄なシーンはなく、それどころかもっと彼らのことを観たかった、この映画が終わってほしくない、もっと観たかった、という寂寥感でいっぱいになったのですから。
それでいて、『前篇』だけでも物語はキリの良いところでまとまっています。『後篇』の序盤では、わかりやすく、かつ不自然ではない描写で『前篇』のフォローも入っているので、少し間を置いて『後篇』を観たとしても、まったく問題なく楽しむことができるでしょう。実写映画版の『ちはやふる』がそうだったように、前後篇として理想的な構成になっていました。
さらに、前述した通り“意外と笑える”シーンも満載で、どこか親しみやすさもあるのですから、実は極めて間口の広い作品と言っても良いのです。菅田将暉が舞台挨拶で「ミニオンだと思って構えずに観てほしい」と訴えていたことも、それが理由の1つなのではないでしょうか。
エンタメ性が高く、誰でも楽しめる人間ドラマが展開し、R15+指定ならではの濡れ場に興奮し、ボクシングシーンに圧倒され、さらには哲学的な思考を促す奥深さもある、というのが、この『あゝ、荒野』という傑作なのです。映画ファンはもちろん、普段あまり映画を観ないという方も、映画館でこの魅力に浸って欲しいです。
–{おまけ:合わせて観て欲しい2つの映画はこれだ!}–
おまけ:合わせて観て欲しい2つの映画はこれだ!
最後に、『あゝ、荒野』と合わせて観て欲しい映画を紹介します。
1:『息もできない』
前述したように、ヤン・イクチュンが監督を含め1人5役をこなした韓国映画です。どうしようもない鬱積した日常で生きている女子高生と、ヤクザの中年男性の心の交流が繊細に、そして鮮烈に描かれていました。
『息もできない』と『あゝ、荒野』には、多数の共通点が観られます。年齢がまったく違う対象的なキャラクターがお互いを知っていく過程があったり、暴力的な主人公にも関わらず(だからでこそ)好きになれたり、最悪な人生を送ってきた彼らが“目標”に向けて歩んだり、意外とクスクスと笑えてほっとするシーンもあったりするのですから。
さらには、ヤン・イクチュン監督と、『あゝ、荒野』の岸善幸監督は、“リハーサルをほとんど行わず、いきなり本番を撮って役者の魅力を引き出す”という、撮影時の姿勢にも共通しているところがあるようです。おそらく、岸善幸監は『息もできない』から、多大なインスピレーションを得たのでしょう。この2作には、まるで“姉妹作”と言っていいほどの、国境を超えた“つながり”を感じられました。
2:『二重生活』(2016年)
岸善幸監督の劇場デビュー作で、“理由なき尾行”に次第にのめり込んでしまう危うさを描きつつ、哲学的な思考にも満ちた作品です。
こちらも『あゝ、荒野』と同じく菅田将暉による濡れ場があり、“コンドームを手に取る”シーンをしっかり描くなどのベッドシーンのこだわりを感じました。性的なシーンこそが、物語に強く影響していくことも、両作品は共通しています。
主演の門脇麦を初め、長谷川博己やリリー・フランキーという実力派俳優による演技合戦も見どころで、ラストは他の映画にはない、特別な余韻に浸ることができるでしょう。“映画でしかできない”面白さを堪能したい方に、おすすめします。
(文:ヒナタカ)