勅使河原宏監督作品『利休』『豪姫』の “美は揺るがない”

音楽

■「キネマニア共和国」

毎月リーズナブルな価格で映画ファンに名作群をお届けし続ける松竹ブルーレイ・コレクションですが、10月に発売されたのは……。

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街 vol.43》

世界に名だたる名匠・勅使河原宏監督の晩年の大作『利休』『豪姫』の2作品!

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さまざまなジャンルで活動し続けた世界に誇るアーティスト

勅使河原宏監督はいけばな草月流三代目家元で、華道や陶芸、舞台などさまざまな芸術分野で活躍し続けてきたアーティストで、その中には映画監督としての活動もありました。

50年代から実験映画を監督し、アートシアター運動の中心人物として活動していた彼は、60年代に入りATG(アート・シアター・ギルド)初の日本映画『おとし穴』(62)を発表。64年の『砂の女』はカンヌ国際映画祭審査員特別賞など海外で高く評価され、その名を世界的なものとします。

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72年の『サマーソルジャー』以降は映画から離れていましたが、84年にドキュメンタリー映画『アントニー・ガウディ』で映画復帰を果たし、89年に手掛けたのが時代劇大作『利休』でした。

権力に屈しないルネッサンス人の信念を描く『利休』

『利休』は野上弥生子の小説『秀吉と利休』を原作にしたもので、桃山時代の茶人・千利休と豊臣秀吉との確執を軸に、いかんることがあろうとも権力に屈しない“ルネッサンス人”たる芸術家の信念を豪華絢爛な美術と映像美で描いたものです。

本作に登場する茶器や掛け軸などの美術品はほとんどが本物で、中には国宝級のものまで含まれていて、稀代の名優・三國連太郎ですら、それらを扱う際に手が震えてNGを何度か出してしまうほど、撮影現場は緊張感に包まれていたそうです。

また劇中に飾られたいけばなは、勅使河原監督自身の手によるものです。

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キャスト面でも、三國連太郎扮する利休の「静」と、秀吉を開演する山崎努の「動」が見事な対比をなしつつ、堂々たる時代ロマンを形成しています。

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また、ちょうど1991年が千利休没後400年ということで、東宝でも89年に熊井啓監督のメガホンで『千利休 本覺坊遺文』が製作され、松竹VS東宝「利休対決」としてマスコミも大きくこれを取り上げていました。

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–{“男なら関白の器”『豪姫』}–

“男なら関白の器”を持った姫と利休の弟子の交流を描いた『豪姫』

『利休』の好評を受けて、勅使河原監督は続けて、その後の日本芸術史ともいえる『豪姫』を92年に完成させます。

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これは、富士正晴の『たんぽぽの歌』(後に『豪姫』と改題)を原作に、前田利家の娘で秀吉の養女となった男勝りの豪姫と、利休の死後、豊臣秀吉の茶頭となった古田織部の長きにわたる心の交流を通して、『利休』同様に戦国時代から江戸太平の世へと移り変わっていく歴史の流れの中、芸術とは何かを問うていくものです。

豪姫に扮した宮沢りえは、撮影時17歳で発表したヌード写真集『Santa Fe』(91)が155万部のベストセラーになるなど、当時はスキャンダラスな話題でマスコミの興味を集めていましたが、今回のおよそ40年におわたる“男なら関白の器”とまで称された女の気性を見事に演じ切り、彼女自身が女優として“関白の器”であったことを広く知らしめることになりました。

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一方、古田織部に扮した仲代達矢は、勅使河原監督の初期傑作『他人の顔』(66)に主演しており、ここでも静謐な佇まいの中から芸術家の頑ななまでの姿勢を堅持し続けることで、勅使河原監督の期待に見事応えてくれています。

実際、勅使河原監督の想いは豪姫よりも古田のほうに注がれている節も感じられ、そこが本作のバランスを今一つ崩してしまっているような感もありますが、それでも芸術とその美に対する執着の強さが薄れるところはありません。

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また『利休』『豪姫』のルネッサンス2部作を語るときに外せないのは武満徹の音楽でしょう。50年代からずっと勅使河原監督とともに芸術活動を行ってきた名作曲家の研ぎ澄まされつつも円熟した音の一つ一つの響きは、今ののっぺんだらりと垂れ流し気味な映画音楽とは一線を画した、まさにアートと呼ぶにふさわしい貫録がみなぎっています。

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そして、『豪姫』を遺作映画とし、勅使河原宏監督は2001年4月14日に74歳で世を去りました。

その翌年、米アカデミー賞授賞式で年度内に逝去した偉大な映画人を讃えるコーナーの中に勅使河原監督も含まれていました。
彼の名と写真が壇上のスクリーンに映し出されたとき、場内のハリウッド映画人たちから一斉に温かな拍手が沸き起こるとともに、日本が生んだ偉大なる“ルネッサンス人”の死を悼み、おくられました。

私自身、今回久々に勅使河原監督作品を見直しつつ、日本映画のルネッサンスを今一度期待したい気持ちになっています。

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(文:増當竜也)
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