「第3回蒲田映画祭 シネパラ蒲田」香川京子トークショーリポート

INTERVIEW

10月10日(土)〜18日(日)に大田区産業プラザPiOで開催された「第3回蒲田映画祭 シネパラ蒲田」にて、10月17日(土)には女優・香川京子さんのトークショーが行われました。

「蒲田映画祭 シネパラ蒲田」とは?

蒲田は大正9年に松竹キネマ蒲田撮影所がオープンした場所で、昭和中期には次々と映画館が開館し、映画の都として発展したという歴史から、近代映画発祥の地といわれる場所。
そんな、映画にゆかりのある街のイベントとして、商店街や町会、地域住民みんなが参加して盛り上げ、老若男女が楽しめる映画祭として開催されているのが「蒲田映画祭 シネパラ蒲田」です。
映画上映のほか、映画にまつわるテーマ展示やポスター展示も行われています。

当時21歳の若手女優が見た巨匠・小津安二郎の姿

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映画『東京物語』の上映前に、出演者である香川京子さんと聞き手・立花珠樹さんによるトークショーが開催されました。

監督との出会いは作品の前に遡り、デビュー間もなくの頃に映画の宣伝をやっていた義理の叔父に連れられて行った銀座の中華料理店だったそう。
「何もお話しなかったんですけど、ご挨拶だけさせていただいて、その時に私をご覧いただいたのだと、後になって思いますね」と香川さん。

「小津監督はおしゃれな方ですよね?」と立花さんに尋ねられると、「監督はみなさんそれぞれおしゃれ。タイプは違うけれど。小津監督はいつも白いシャツと白い帽子を身につけていて、真っ白なイメージですね」と印象をお話していました。

中華料理店での出会いの後、大船の撮影所に呼ばれて初めて会話をして、『東京物語』に出演することになったとのこと。

「今もそうかも知れませんけど、撮影はだいたいロケーションからはいるんです。スタッフのみなさんとお食事をしたりして親しくなれるので、その目的もあったかもしれないですね。『東京物語』も尾道でのロケから始まりました」と当時を振り返っていました。

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立花さんから、方言での芝居について尋ねられると、「お芝居の点では監督から何十回もテストされたという記憶はないんですが、尾道の方言には非常に厳しく、ちょっとでも違うと指摘されましたね」と苦労したことを告白。

当時は方言指導の人などはおらず、監督が現地の方の声を録音したテープを渡されて、それを聴いて勉強したんだそう。

「監督は、セリフの語尾も変えてはいけない、水を何回で飲むなど動きもしっかりと決めて演出されますよね」立花さんが話すと、香川さんも「カップを持つ高さなどにも細かくて、すべて決めたとおりにやる監督ですね」と香川さん。
「私は若い役ですし、そんなに難しいことはなかったですけど、ひとつ覚えているのは、暑い夏に、倒れたお母さんをうちわで仰いでいるカットがあって。3回だったか5回だったか、仰いだら手を下ろして、腕時計を見て「じゃあ、行ってきます」とお兄さんたちを迎えに行くんです。そのシーンの指示を演じて、監督はカットの長さやテンポなど全部頭に入っていらっしゃるんじゃないか、という気がしたんですね。だからあまり余計なことをしちゃ行けないんだと感じた記憶があるんです」と印象的だった出来事について明かしていました。
それに対して立花さんは「本当に自然に見えるんですよ。それが不思議。全部決めて、何度も取り直したと思えないくらい。計算され尽くしていますね」と感想を伝えます。

『東京物語』を観るときには、そのシーンにも注目したいですね。

–{大スター・原節子さんとの共演}–

大スター・原節子さんとの共演

また、ロケに使った旅館はまだ残っていて、旅番組で何度か訪れたことがあるというお話から、撮影時は隣の部屋が姉役の原節子さんの部屋だったという話題も。

「原さんは憧れの人だったので、本当にうれしくて。小津組に参加できる喜びというより、原さんと一緒にお仕事ができることの方がうれしい気持ちで、小津監督には申し訳ないですね(笑)」と今だから話せるお話も飛び出します。
香川さんが芸能界に入った時にはもう大スターだったという原さんに対しては「本当に美しい方で、笑顔が太陽のような方。明るくて温かくて。何を話したわけではないけれど、他愛ない世間話をして、それが楽しかったですね」と思いを語っていました。

原さんとの共演作は『東京物語』が最初で、その後にも映画『女囚と共に』や『驟雨』などで共演されています。

世界で評価されている映画『東京物語』

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『東京物語』は60年以上前の作品ながら、2012年に世界の映画監督が選んだ映画のベスト1に選ばれたり、2015年10月に開催された韓国・釜山の国際映画祭でアジア映画ベスト100の中で1位を獲得した映画でもあります。

香川さんは当時は演じた京子という役の気持ちそのもので演じられたけれど、自分も歳をとっていくにつれてその年齢の登場人物の気持ちがわかってくるようになったとお話され、「その年齢年齢で、なるほどなぁと思うんですね。世界中でこの『東京物語』が評価されるということは、どの国の人でもその年齢ごとに共感される作品なので、すごいなぁと思うんです。たとえば一冊の小説があったとして、若い時に読んだ時と中年になったとき、また歳をとったときに読んで違う感動を覚える。そんな一冊の本を読むような作品だと思いますね」と作品の奥深さを語っていました。

また、ニューヨークでの映画祭で公開された際には、日本人の来場が多いであろうという香川さんの予想に反して、現地の若い人がほとんどだったというエピソードも。
香川さんは、その映画祭に持っていったという「小津安二郎 全発言 1933~1945」の内容を引用しながら、監督の考えややり方をどう受け止めたかといったお話もされていました。

そしてトークセッションの最後に「フリーになったおかげで、溝口健二監督や黒澤明監督などいろんな監督とお仕事をさせていただいたけれど、私はやっぱり一番若手でしょ? だから、日本中の皆さんが期待している大監督の新作に出るということに、私が台無しにしてはいけないという責任感があって、それだけでしたね。出来上がった作品を観ると出られてよかったなと思うんですが、撮影中は不安と緊張の連続でした。小津監督の作品に出られたのは『東京物語』というたったひとつの作品だけなんですけど、世界的に評価される作品に参加できたことはなんという幸せなことだとしみじみ思いますね」と締めくくっていました。

イベントの最後には客席からの質問コーナーも

トークセッションに続いて行われた客席からの質問に香川さんが答えるQ&Aでは、気になっていたことを思い思いに質問され、中には立花さんが驚くような質問もありました。

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質問「小津監督と原節子さんの関係というのは、現場でご覧になっていていかがでしたか?」
香川「当時は子供だったから、そんなこと考えもしなかったですね(笑)。そんなことはなかったと思いますけど…。でも、演じるというのと結婚というのはまた別じゃないかなと思いますけど。原さんに聞いていただかないとわからないです(笑)」
立花「私などは聞けないようなことを、すぐ聞いていただいて(笑)」

質問「今までやってきた映画で印象的だった役や作品を教えてください」
香川「溝口健二監督の「近松物語」ですね。芝居ができなくて、死にたいくらい苦しんだ作品なんですが、人妻役も京都の言葉も、着物のすそを引いて歩くのも初めてで、初めてづくしだったんです。ちなみに、最初はおたまという女中の役だったのにベニスの映画祭から日本に帰ってきたら役が変わっていて、よくわからないまま京都にいきました(笑)。溝口監督は小津監督と正反対で、演技指導を一切しない方なんです。「俳優というのはセットに入ったときにその役の気持ちになっていれば自然と動けるものだ」とおっしゃるんですが、どうやっていいのかわからなくて本当に辛くて、おこう役の浪花千栄子さんにいろいろと教えていただきながら。監督には芝居というのは自分の番だからセリフを言うんじゃなくて、相手の言葉や動きに反射してくださいと言われ続けて、それが芝居の根本だと教えていただきました。それで、黒澤組に行ってもできたと思うんです。だから、やっぱり溝口監督のご指導が私の中に一番残してくれたと思います」

質問「一番好きな日本の俳優、海外の俳優を教えてください」
「男性では森雅之さんが憧れでした。共演したかったんですけど、私にはそのチャンスがなくて。ラジオでご一緒したことはあるんですが。どんな役をなさっても、ぴったりこなされる素晴らしさ。森さんの演技が好きでしたね。女優さんは、原さん始め尊敬する方はたくさんいらっしゃいます。海外の女優さんはイングリット・バーグマンが好きで、男性はあまりいないですね(笑)」

『東京物語』を中心に、出演作品の撮影当時を懐かしむ様子でお話される香川さんの姿が印象的なイベントでした。

「第3回蒲田映画祭 シネパラ蒲田」公式サイト
http://www.o-2.jp/cinepara

(文・取材:大谷和美)