10月10日より、押井守監督の『THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦 ディレクターズカット』が公開されました。
これは今年のGWに公開された同名作品に、およそ27分のシーンを新たに追加したものでなのですが……。
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街 vol.41》
ではディレクターズカットって、何?
映画の編集権を握っているのは誰?
ディレクターズカットを簡単に説明しますと、その映画の監督自身が望む形での編集なり完成度が保たれた作品のことですが、実際は描かれている内容に対して社会的影響を配慮したり、また上映時間の長さなど様々な理由から、プロデューサーなどのメスが入って短く切られてしまうことがあります。
特にハリウッド映画の場合、最終的な編集権を握っているのはプロデューサーなので、彼らの独断によって監督としては不本意なものが出来上がってしまうこともしょっちゅうなのです。
たとえば超大作『クレオパトラ』(63)の場合、ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督はおよそ5時間20分のディレクターズカットを作りましたが、実際にプレミア上映としてお披露目されたのは4時間05分バージョンで、その後の一般公開では3時間14分まで削られてしまいました。
(現在のBDやDVDではプレミア上映4時間版が流布されています。ディレクターズカットは所在不明)
映画にはディレクターズカットを含むさまざまなバージョンが存在する。
そのことが一般的に認知されていくのは、80年代に入ってビデオの時代が台頭してからで、新作映画がビデオ化される際、劇場公開されたものよりも尺が長くなってリリースされる作品が登場し始めていくのです。
–{ディレクターズカットの仕掛け人}–
ディレクターズカットの仕掛け人たち
その口火を切ったひとりがジェームズ・キャメロン監督で、彼は『エイリアン2』(86)公開時にカットされたシーンおよそ17分を復元した『完全版』を91年にリリースし、以後『アビス』(89)『ターミネーター2』(91)などで劇場公開版よりも尺が長いバージョンをソフト化しています。
(もっともキャメロン自身は、劇場公開版こそがオリジナルで、ディレクターズカットはおまけだとも発言しています)
もうひとり、ディレクターズカットといえばリドリー・スコット監督でしょう。
『ブレードランナー』を例に挙げても、劇場公開版(82/スタジオの意向でハッピーエンドに改竄された)およびその長尺版たるインターナショナル・バージョン(82)、公開10周年記念デイレクターズカット(92/当初監督が意図していたアンハッピーエンドに復元)、公開25周年記念ファイナルカット(07)、さらにはワークプリント(82)まで発掘されて、それらが一挙にBD&DVDボックス化されたこともありました。
トム・クルーズ主演のファンタジー大作『レジェンド/光と闇の伝説』(85)は、当初140分(音楽はジェリー・ゴールドスミス)の尺であったのを、当時のユニバーサル映画会長だったシドニー・シャインバーグの命令で、アメリカ公開版はタンジェリン・ドリーム音楽の89分、日本を含む国際版はゴールドスミス音楽の94分と2バージョン作られることになり、自分の知らないところで勝手に音楽を差し替えられたゴールドスミスは激怒し(スコット監督は79年の『エイリアン』でもゴールドスミスに内緒で曲を差し替えていた)、スコットと決別しました。
なお、『レジェンド』は後にゴールドスミス音楽による114分のディレクターズカットが発表されています。
シドニー・シャインバーグといえば、テリー・ギリアム監督のイギリス映画『未来世紀ブラジル』(85)事件が有名で、143分のオリジナル版はアンハッピーエンドであったのを、シャインバーグらスタジオ上層部はそれを嫌ってハッピーエンドに改竄して94分までカットしたものをテレビ放送。激怒したギリアム監督は再編集を施した132分の版を執念で全米劇場公開させました。
このあたりの騒動は『バトル・オブ・ブラジル』として書籍化もなされ、当時の映画ファンは映画の発言の自由を得るために心ある映画人がいかに闘っているかに驚愕したものでした。
(現在、日本でBDなどで見られるのは、その後さらにギリアム監督が手を加えた144分のディレクターズカットです)
個人的にディレクターズカットと聞いて即思いだすのは、サム・ペキンパー監督です。
スタジオと対立することがしょっちゅうで、そのあおりをくらってか『ダンディー少佐』(65)『ワイルドバンチ』(69)『ゲッタウェイ』(72)『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』(73)など、監督の手を離れて改竄された作品は多数。
この中で『ワイルドバンチ』は現在ロードショー公開時のものにまで戻され、また『ビリー・ザ・キッド』も冒頭とラストを復元したディレクターズカットに近いものがめでたくソフト化され、今は亡きペキンパー監督が真に訴えたかったものがようやく理解できるようになり、再評価もなされました。
『ダンディー少佐』も本来は150分を超えるものが監督の臨むものだったのですが、劇場公開時は124分まで短縮され、メインタイトル曲も監督の嫌うものが採用されていましたが、現在は曲も差し替えた136分版がBDなどで見られます。
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–{日本でのディレクターズカット事情}–
日本でのディレクターズカット事情
日本では、黒澤明監督の『白痴』(51)事件が知られるところで、当初前後編合わせておよそ265分の版を編集し終えたものに対し、時の松竹サイドが興行上の理由から突如カットを要請し、やむなく黒澤監督自身が182分まで縮めましたが、それを東京でロードショーしたところ「評判が悪い」として、松竹は全国封切りの際にさらなるカットを要求。
このとき黒澤監督は「これ以上切りたければ、フィルムを縦に切れ!」と激昂しましたが、結局は166分にまでカットされたものが全国公開されました。
現在、『白痴』の182分版もオリジナル265分版も所在不明で、映画業界内では「実は誰々がフィルムを隠し持っている」などといった都市伝説が今も囁かれています。
さて、「パトレイバー首都決戦」の場合、押井監督はもともと119分の尺の予定で編集していたところに、製作サイドが90分までカットしてほしいと要請。議論を尽くした結果、押井監督が編集した119分版を後で上映することを条件に、プロデューサーに劇場公開版の編集を委ねたとのこと。
このディレクターズカットでは、92分の劇場公開版では正体不明の敵とされていた戦闘ヘリのパイロット灰原雫の謎が解き明かされたり、一方では押井作品特有でもある特車二課などのお気楽な日常描写も復活。マニアにはたまらない楽しさもあることでしょう。
現在は商業的見地から、劇場公開時は短いバージョンを、後でディレクターズカットをBDなりで発表するといったやりかたも多くなってきていますが、見る側からすると、いろいろなバージョンを見られる楽しさを取るか、同じ映画で2度もお金と時間を費やすことの不条理を嘆くか、意見は分かれそうです。
劇場公開版とディレクターズカットのどちらが好きかも、人それぞれではあるでしょう。
もっとも、見比べることによって、映画が編集次第でいかに印象が変わるものかを体感できることと思いますし、そこから映画作家個々の主張と、商業主義的側面も伴うことで成立する映画業界の複雑さなども明らかになってくるのではないでしょうか。
まずは見比べてみましょう。どうせなら楽しんだほうが得策です。
(文:増當竜也)
公式サイト http://patlabor-nextgeneration.com/
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