8月17日(月)、109シネマズ二子玉川にて『日本のいちばん長い日』のティーチイン上映会が行われました。
当初登壇予定は原田眞人監督だけでしたが、古賀秀正役の谷部央年(ひさと)さんも登場し、客席からの質問に答えてくださいました。
『日本のいちばん長い日』は作家・半藤一利の同名小説を原作に、太平洋戦争終結の裏側で終戦の為に身を尽くした実在の人物たちを描いた映画です。
劇中の姿から一転して明るい髪色で登場した谷部さんと原田監督。
拍手で迎えられ、ふたりが入場。原田監督は盛大な拍手に照れた表情ものぞかせていました。
「実は、お客さんと一緒に藤井大尉(A.B.C-Z 戸塚祥太)も観てたんですよ。一緒に挨拶に出てくれといったら、”この後仕事があるから”と言って逃げられてしまいましたが(笑)」と原田監督。
後から明かされたことではありますが、この日参加したお客さんは、キャストと一緒に作品を観るという貴重な体験をしていたんですね!
そして、二人の挨拶のあと、早速Q&Aが始まりました。
Q&Aの一部をご紹介!
「本当に戦争を語るというのであれば、70年前でなくても世界中ではここ2、3年でも戦争を経験してる人が多いので、国外であればもっと身近な題材があったと思います。そこで、70年前の日本を描いたことにはどういった意義があるんでしょうか?」
●原田監督
戦争を描いてる訳ではなく、終戦を描いている訳です。今の戦争を見ても当時とは世界が別ですよね。
半藤先生が原作でおっしゃっていた”戦争を起こすのは簡単だけど、終結させるのはいかに難しいか”ということは僕もこの映画のテーマだと思います。その中で70年間における戦争の終結の部分では、いちばん美しい終結をしたひとつの例だと思います。現実に終結できない戦争がいろいろありますよね。日本がああいう形で終結できたのは、昭和天皇が聖断を下すことができたからだし、それまでのプロセスが大変だったということがある。
僕がこの映画で一番描きたかったのは、天皇が応仁の乱に例えて「この戦争はもう15年も続いているね」というところで、実際に「入江相政侍従日記」にある描写なんです。昭和天皇にとっては太平洋戦争からの4年間の戦争ではなくて、満州事変から15年続いた戦争を終結させたという意識が強かったと思います。
「堪え難きを堪え、忍びがたきを忍び」という天皇の言葉がありますが、閣議決定したことを承認することしかできない、言いたいことを言えない時代がずっと続いていたので、僕は15年間堪え難きをずっと堪えてきたのではないのかと思ったんですね。
1968年の岡本喜八作品ではいろんな制約もあって描けなかったと思うんですが、他の作品でも伝わっていなかったことで、天皇の思いを伝えるというところでは、日本映画初めてできたんじゃないかなと思っています。
「重い質問軽い質問いろいろ取り混ぜてくださって結構です(笑)」と場を和ませます。
「1967年の『日本のいちばん長い日』を観たんですが、どの程度この作品を意識したのか、全く別の観点で作ったのかお聞きしたいです。また『駆け込み女と駆け出し男』を平行して作られていると思うんですが、その時のことについて聞きたいです」
●原田監督
岡本作品の影響は強くあります。僕自身18歳で観て、岡本監督のファンだったので。
でも今回、将校役の役者たちには観るなといったんです。それは芝居が今と違うんですね。岡本監督はご本人も戦争を体験されてますから、本土決戦を望む軍人たちは狂気的にしか心情的に描けなかったと思うんですが、僕は決起する連中の狂気には走りたくなかった。
僕にとっては別物と考えて、あれは24時間プラスの話、こっちは4ヶ月の話。なおかつ、昭和天皇の描写であるとか、当時描きたくても描けなかったことを受け継いでやっていこうと。岡本監督は僕の師匠のような人なので、別物でかつ継いでいきたいという意識でしたね。
岡本監督はマネするのが嫌いな人でしたから、同じように作っていたら怒られたと思いますが、この映画は楽しんでもらえるものになったんじゃないかなと思います。
『駆け込み女と駆け出し男』の話をすると、時代劇をやりたいとずっと練ってきていたもので、それが準備に入った段階で、『日本のいちばん長い日』にGOが出たんですね。で、2013年の12月に今作の脚本を書き始めたんです。
確かに忙しかったですけれども、5週間で第一稿が書き上がりました。それは僕自身がずっと前からこの企画をやりたかったから。それこそ、アレクサンドル・ソクーロフの『太陽』が2006年に公開されて、イッセー尾形が演じた昭和天皇のしゃべり方やクセなんかが非常に不愉快でしたから、そういう経験から、自分の描く天皇像として資料を調べたりしていたんですね。なので、執筆は集中的に短い時間でできました。
それで、第一稿をプロデューサーに渡して、クランクインしたんです。その時は『駆け込み女と駆け出し男』に集中してましたけど、現場で山崎努さんと『日本のいちばん長い日』の演技プランと演出プランを話し合ったりして、ごちゃまぜになってましたね。
だけど、混乱するというよりは監督冥利に尽きるというか。初めての時代劇と初めての戦争映画が重なった非常に幸せな時間でした。
–{原田監督が唯一観ろといった映画とは?}–
原田監督が唯一観ろといった映画とは?
「同世代の青年将校のシーンを印象深く感じました。演じている方々は戦争を教科書でしか知らないと思いますが、演じる上で苦悩だったり感じたことを聞きたいです。また、監督は戦争を知らない若い世代へ、どう伝えていったのでしょうか」
●谷部さん
自分も全く戦争を知らない世代のひとりです。演じるために資料を探ったり史実をひも解いたりもしたんですが、なにより恐ろしいと思ったのは最近まで生きていらっしゃった方を演じるということですね。いまでもそのプレッシャーからは解き放たれた訳ではないです。
演じるうえでは考えすぎないで演じるようにしました。台本から行間から気持ちの底まで探って、演技プランを決めたりはしなかったです。ただ書かれていることを腑に落ちるところで解釈して、すっとしゃべる、行動する、というようにしました。
それでいいのかギリギリまで悩みましたけど、シンプルにやっていることを、監督がカメラを使って撮ってくださって形にしてくださるということだったので、そこにゆだねました。
●原田監督
基本的には軍人の心理を一から考えても駄目なんです。ゼロからやるときには型ですね。それをずいぶんとやった。その型をやるにあたって、日本の戦争映画を観るなといったんですよ。日本の戦争映画は軍人っぽく描くというところで、実際の軍人とは違うところがあるんです。
軍人らしい動きということで、絶対観ろと言ったのはアメリカ映画の「丘」という作品だけです。シドニー・ルメットが監督した1966年の映画でイギリスの陸軍刑務所の話なんですね。
ショーン・コネリーをはじめとするそうそうたる役者たちが軍人を演じているんですが、言葉のトーンと身のこなし、体のさばき方が本当に素晴らしいんですよ。全員に徹底的に観てもらった作品で、僕らにとっていい教科書でした。
「御文庫付属室が最近公開されて、劇中に出てきたのはこれだったんだなぁと思ったりしたんですが、新たに公開された資料で監督の心に残ったものがあれば教えてください」
「御文庫棟地下の防空壕は、僕らも先日公開されたのを観て、こうなっていたんだ、と初めて知ったんです(笑)。その前にあった資料はもっと簡単な地図で、それをそのままやっても面白くないな、と思って自分のイマジネーションを加えました。
天皇の入口は他の閣僚たちと別の入口があるだろう、と想像でやったら、それは正しかったですね。でも、天皇が入ってくるところを地下通路にして、閣僚たちが入ってくるところは深さを感じさせるために別のところを使って、仰々しい設定にしたところもあります。
この作品の中では事実をベースにした部分と、想像したものを入れた部分もかなりあります。東条英機が上訴するシーンも、サザエの殻を使ったたとえ話は史実なんですね。で、天皇がどう答えたかは史実に残っていないので、フィクションなんです。
史実として、そのあとに東条英機が矛をおさめちゃったことは確かなので、相当のことを言われたんだろうという想像の中で、海外の人が観たときに昭和天皇なかなかやるな、と思うようなウィットのある言い返しということで入れたんですね。
でも、そのあとのナポレオンに関する話は別のところでおっしゃったことなんです。なので、事実と事実の間にフィクションを入れ交ぜる作業はいろいろとやっています。
また、「なぜ本木雅弘さんを昭和天皇役にキャスティングしたのか」という質問には、「東条(英機)さんはそっくりな人を選ぼうと思ったけど、天皇は絶対にそっくりさんを選びたくなかった」と話し、写真やニューズフィルムでは伝わらない神がかったものを表現するために、美しい品のある顔立ちと立ち居振る舞いを重視したとのこと。「オファーされて相当悩んだようですけど、最終的に樹木希林さんの後押しで決まりました。これを僕たちは”樹木希林さんのご聖断”と言ってるんですけど」と会場の笑いを誘う一幕も。
キャスティングについてもお話があり、将校とは違う侍従たちの雰囲気を出すためにオーディションでは軍人っぽくないタイプの役者を選んだということでしたが、ここで徳川(義寛)侍従役の大藏基誠さんの話題が飛び出します。
オーディションでは柔軟性などを見るために即興の芝居をしてもらうそうなのですが、「大藏はすっぽんぽんになったんですよ。そしたら、他の連中も裸にならざるを得なくなって、男5人がどんどん裸になっていくという非常に印象的なオーディションで、その要となった彼を何としてでもキャスティングしたいと思いました。でも、軍人には向いていないので侍従をやってもらいました」と監督。
谷部さんは「脱ぐって、なかなかすごいですよね。僕はできないです(笑)」とコメントしていました。
–{監督から、締めの挨拶}–
監督から、締めの挨拶
「僕の中では、ここから始まる終戦3部作か4部作の一番手だと思ってます。二番手、三番手が出来るくらい、今勢いのある映画で、観客動員も増してますし、今日も若い方がいらっしゃってますけど、次の世代にも語り継がれていくような歴史の真実の姿に向かってこれから議論も行われていくと思います。今回は省いちゃいましたけど、ポツダム会談で、どんな経緯があって原爆投下にいたったのかという実像もすごく興味深いんですね」と今後の作品への構想も語り、「映画でどんどん歴史を語っていくことが大事だと思います。この映画を作るにあたって、ちょっと調べただけでも昭和史ってこんなに闇があるんだ、と今語られている歴史だけでは切り取れないものがまだまだあります。日本が平和国家として進んでいけるように、我々は歴史を正しく解釈して、軍をなくして国を残したという70年前の決断を守っていきたいと思います」と締めくくりました。
Q&Aでは客席から次々と手が挙がり、上映直後ならではの新鮮な気持ちで監督と谷部さんに質問や思いを届けているようでした。
監督もその思いに答えて、ひとつの質問からたくさんお話をしてくださるので、意外なお話を聞けたという人も多かったのではないかと思います。
そういったお話を聞いて、より深く作品を味わえるイベントになっているので、機会があればぜひ参加してみてはいかがでしょうか。
『日本のいちばん長い日』は現在全国ロードショー中です。
(文・写真:大谷和美)
公式サイト http://nihon-ichi.jp/