編集部公式ライターの大場ミミコです。
戦後70年。その記念すべき年でもある2015年8月8日に公開されるのが、映画『日本のいちばん長い日』です。ポツダム宣言の受諾で終戦を迎えたことは知っていても、それがどのように進行し、どれだけの人間が関わり、対立し、葛藤を繰り返したのかを知る現代人は意外と少ないのではないでしょうか?
「降伏」と「本土決戦」…。この映画では、2つの選択で揺れる閣議の様子や、その裏側で起こった人間模様、そして関わった者達の感情や覚悟がつまびらかに描かれています。
その脚本・監督を担当したのは『金融腐蝕列島[呪縛]』『クライマーズ・ハイ』などの社会派から『わが母の記』『駆け込み女と駆け出し男』などの人間ドラマまで、幅広い作風と表現に定評のある原田眞人監督です。
このたびシネマズby松竹では、原田監督にお話を伺う機会を頂きました。原田監督が『日本のいちばん長い日』という映画に込めた思い、そして映画を通して伝えたいことなどを聞かせていただきましたので、近日公開の映画とあわせてお楽しみ下さい。
神と悪魔の間で揺れ動く“アンビバレンス”を描く
―― 役所広司さん演じる阿南陸軍大臣で印象的だったのは、まずはその『立場』だったと思います。部下である陸軍将校たちが願う「本土決戦」への熱い思いと、かつて公私ともにお世話になっていた昭和天皇の国民を思う気持ちと、図らずも板挟みとなった阿南陸相の心境と言動に、すっかり夢中になってしまいました。
原田監督「僕が映画作りで一番気をつけているのは、映画…こと“名作”と呼ばれる映画の主人公は、確実に深いアンビバレンス(相反する感情を同時に持つことによって起こる葛藤)というのを抱えています。要するに、神と悪魔の、白と黒の中間のグレーエリアで揺れ動いているのが人間というものなんです。」
―― 昭和天皇も、阿南も、若い将校たちもみんな「国を救いたい、どうにかしたい」という気持ちは一緒なんですが、その手段・方法における心情面で対立と葛藤を繰り返していましたね。そんな状況の中、阿南が妻の綾子に対して歌を詠むシーンでは、軍人として、夫として、人間としての「覚悟」が伝わってきて、思わず涙が溢れました。
原田監督「今まで、阿南陸相を描いた小説などの作品は多く存在しますが、そのうちの1つに『一死、大罪を謝す(角田房子・著)』という本があります。素晴らしい本なのですが、そこで彼女は、阿南の取ったスタンスを『腹芸説』と『気の迷い説』のどちらかに分かれるという書き方をしています。でも、僕はどちらの解釈も好きじゃないんですよ。」
―― 『腹芸説』というのは、本心では本土決戦を否定しながらも、陸軍の暴発を防ぐために部内の強硬派に対するポーズとして本土決戦を主張し続けたという説ですね。
一方の『気の迷い説』は、ポツダム宣言を受諾して戦争を終わらせるべきか、本土決戦を目指して進むべきか、どちらにも決められず迷い続けたという説ですよね。
原田監督「腹芸というと日本的な感性の中で切り取られそうですが、名画の主人公というのは、みんな心の葛藤を抱えています。例えば『アラビアのロレンス』の主人公・ロレンスであったり、『捜索者』でジョン・ウェインが演じたイーサンであったり、『ゴッド・ファーザー』でアルパチーノが演じたマイケルであったり…その深さや強烈さのせめぎ合いで決断というのが、主人公としての重要要素になってくるんですよ。」
–{多くの人に届けたい「阿南の葛藤」}–
多くの人に届けたい「阿南の葛藤」
原田監督「しかも阿南の場合、すべて『家族』として考えるというイメージがあるんですよね。軍隊も彼にとっては家族ですし、昭和天皇に対しても家族のように慕っている。彼にとって家族ほど大切なものはないし、大切な人の事も家族のように考えるというか…。 そんな彼にとって、大切な次男を戦死させたのは非常に辛いことだったと思います。」
―― 今回の『日本のいちばん長い日』では、阿南陸相の家庭でのシーンも多く出てきましたし、次男が前線で命を落としたことも何度か触れられていましたね。
原田監督「阿南は陸相になるほどの人物ですから、もちろん戦う術は心得てますし、元々イケイケドンドンの性格です。ですから、『戦いたい』という軍人としての気持ちは当然あったでしょう。しかし昭和天皇は『戦うな』と言うわけです。その辺りがアンビバレンスですよね。それをどう綱渡りをしていくかに、僕はとても興味を持ちました。」
―― 阿南惟幾=好戦的というイメージだけでなく、軍部や家庭で見せる優しさや気配りなどが丁寧に描かれていて、とても共感できる人物に仕上がっていたと思います。
原田監督「『腹芸』『気の迷い』などと日本的に解釈するより、欧米の観客の方が、阿南の葛藤というものをより理解しやすいような気もします。だからこの『日本のいちばん長い日』という映画は、世界中の多くの方々に観てもらいたい。たくさんの方に、阿南の置かれた立場や心情は伝わるはずですから。」
より深く掘り下げ、多面的に人物を描く
―― 今まで映画で描かれた阿南陸相は、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』で三船敏郎さんが演じた役が最も印象的ですが、原田監督が描かれた阿南惟幾は、今までのイメージと全く違っていて驚きました。何か狙いのようなものはありましたか?
原田監督「岡本監督バージョンでの阿南陸相は、クーデターが進行しているのにもかかわらず、自分の美学を貫く為に勝手に死んじゃった…という感じがしたんです。閣議のシーンでも、右手に持った刀の柄(ツカ)をグッと握ったり、好戦派の側面だけ描写されてる気がして『これじゃ阿南さん、浮かばれないな』と思いました。ですから、通り一遍ではなく、多面的で厚みのある人物像にしようと心掛けましたね。」
―― そうですね。原田監督ご自身が、登場人物に魅了されているようにも感じました。
原田監督「実はこの映画を、阿南家のご子息と鈴木貫太郎首相のお孫さんにも観ていただいたんです。そしたら『これが僕の知ってる本当の父親像です』『おじいちゃまはこういう人だった』などと仰って、凄く喜んで下さいました。彼らは今までの作品を見た時に、ものすごく違和感を覚えたそうです。僕自身、阿南さんの人物像に惹かれ、鈴木貫太郎さんにも惹かれ、昭和天皇にも、ある意味『親近感』を覚えて描いています。」
–{昭和天皇をきちんと描いた作品}–
昭和天皇をきちんと描いた作品
―― と言いますと?
原田監督「昭和天皇は幼少期、冬になると3~4ヶ月、沼津御用邸で過ごしました。近くにある徳倉山(通称;象山)には毎週のように登ったそうです。僕は沼津の出身で、象山にはよく遠足で行きました。昭和天皇の歩いた道を歩いた、その辺りから始まった親近感なのですが、同時に、昭和天皇の聖断のおかげで、父が救われたという思いもあります。
1945年当時、19歳だった父は、鹿児島の知覧(特攻隊の飛行基地)で塹壕掘りをしていたそうです。本土決戦になっていれば連合軍は九州に上陸する予定だったので、父は殺されていたでしょう。」
―― 昭和天皇の聖断がなかったら、監督は存在しなかったと思うと感慨深いです。それはそうと、「昭和天皇」役としてセリフや演技があった作品というのは確かにありませんね。シルエットや声だけというのはありますが。
原田監督「ロシア映画『太陽(アレクサンドル・ソクーロフ監督)』では、イッセー尾形さんが主役の昭和天皇を戯画化して演じていましたね。晩年のくせであった口の動きとか、「あ、そう」を連発して。これにはかなり違和感がありました。日本映画で、昭和天皇を主役のひとりとして描くのは今回が初めてですね。初めて、昭和天皇を正当に描いた作品だと思っています。」
―― その点でも非常に画期的な映画だと思いました。ご多忙の中、貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。
原田監督「ありがとうございました。」
(インタビュー終了)
登場人物の葛藤を、劇場で体感しよう
公開直前のお時間のない中、真摯にインタビューに答えて下さった原田監督。ブレのない一言一言に、『日本のいちばん長い日』という映画を作った覚悟と強い思いを感じることができました。
監督が何度も仰られていた『アンビバレンス』という言葉。皆さんもぜひ、アンビバレンスを感じながら、劇場で登場人物の心境に浸っていただけたら嬉しいです。
映画『日本のいちばん長い日』は、2015年8月8日より全国公開です。
(取材: 大場ミミコ)
(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会