“24万人の顔が思い浮かんだ”『沖縄 うりずんの雨』ユンカーマン監督の初日舞台挨拶

映画コラム
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編集部公式ライターのアスカでございます。

2015年6月23日に70年目の沖縄慰霊の日を迎えるにあたり、6月20日より公開となりました映画『沖縄 うりずんの雨』。公開初日の20日、満席となった東京・神保町の岩波ホールではジャン・ユンカーマン監督の舞台挨拶が行われました。

人々が本当の沖縄を知る作品に

ユンカーマン監督は1975年に初めて沖縄を訪れてからのことを話し始め、

「40年にわたって沖縄と関わってきた中で、責任感を重く感じるようになりました。そして、ずっと沖縄の映画を作りたかった。」

と、本作を撮るきっかけを語りました。撮影期間は3年。その間に元米軍、元日本兵、沖縄住民へのインタビューを行い、米国立公文書館所蔵の記録映像を交え、県民の4分の1が命を失った沖縄戦の実状に迫る長編ドキュメンタリー作品です。

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監督が本作のタイトルで迷っていたところ、企画・製作を行ったシグロの山上徹二郎プロデューサーが「うりずんの雨はどうでしょうか?」と提案してくれたんだとか。

“うりずんの 雨は血の雨 涙雨 礎の魂 呼び起こす雨”

という短歌がタイトルの基になっていて、作品中にも登場します。「うりずん」とは3月から沖縄の梅雨入りの5月ごろまでの時期を指す言葉で、うりずんの時期がちょうど沖縄での地上戦と重なっていたことから、この時期になると戦争の記憶が蘇って体調を崩す人もいるようです。

沖縄各地で「沖縄戦」があった

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撮影中、24万人の犠牲者の名前が刻まれている「平和の礎(いしじ)」に何度も足を運んだというユンカーマン監督。2年前(2013年)の慰霊祭の日に、撮影で沖縄本島を南から北へ向かっている途中の様子について、

「あちこちの小さい部落で慰霊祭が行われているのを見て、各部落で慰霊祭があり、各部落で沖縄戦があったんだと実感した。」

と、おっしゃっていました。「平和の礎」は沖縄戦で亡くなった約24万人の名前が刻まれた石黒い石碑群。安部首相など何人もの首相や天皇陛下が訪れ、ニュースでもよく取り上げられるので見たことがある人も多いかと思いますが、大きな礎の儀式だけでなく各地で慰霊祭が行われていることは筆者も知りませんでした。

なお、「礎」は通常“いしずえ”といいますが沖縄の方言では“いしじ”と呼び、「集落」のことを「部落」と呼びます。この部落には差別的な意味は含まれません。

–{24万人の魂が沖縄の力になっている}–

24万人の魂が沖縄の力になっている

「製作してる3年の間に(沖縄戦で犠牲になった)24万人の顔が少しずつ思い浮かんでいたし、亡くなった人のことを思って泣いてしまった。」

と、3年間の撮影中にいろいろな方から戦争に関する証言を聞き、膨大な量の資料映像も見たユンカーマン監督は2014年9月に最後の撮影をした際に涙が出てきたそうです。

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「礎の魂が沖縄では生きていて、その魂が沖縄の力になっています。この作品を観ていただいて、多くの人の力になればいいなと思います。」

と最後に締めくくっていました。

米軍が上陸し、12週間におよぶ地上戦が行われた沖縄。『沖縄 うりずんの雨』は戦時中の真実だけでなく、米軍基地問題に悩まされ続ける現状や本当の平和とは何なのかを改めて問う作品になっています。

※東京・岩波ホール、沖縄・桜坂劇場ほか全国で順次公開予定

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(文・写真/アスカ)